砕かれた心を喜ばれる神

昨日の日記で 何故本質がわかったことで
溜飲が下がったのだろう?と思いましたが

その本質に気付いたことで 自分がその
霊的な影響から外れたからだと感じました

今回については 自分には関係がないということが
わかったので影響を受けなくなったのかな と思いました

昨日の日記では

間違えたものに執着していると
本当に必要なものは手に入らず
本当に必要なものを求めることなく
代わりの物を求める人は本物を求める人の邪魔をする

ということに気付いたと書きましたが その後に
執着していた間違えたものをすべて失うと
本当に必要なものが入ってくる
ということにも気が付きました

本当に必要なものではないのに
執着してしがみついていることで
自分も他人も傷つけ続けていれば
いつか破綻するのは当然のことですが

その様にして全てを失った時に
自分自身の心を砕くのであれば
本当に必要であったものが入ってくるのです

砕かれた心 それこそが
神様への最上の捧げものであるわけです

人々が神様の火により焼かれること
その火が隅々まで行き渡ることは
イエスさまの望みでした

神様の火が隅々まで行き渡る時
何がどの様に変わるのでしょうか

古い醜いものが全て焼き付くされ
美しい世界へと変わるのでしょうか

人が神様により創り替えられるのを
見ることが出来るのは
とても素晴らしいことです

また 自分自身がその様に
創り替えられることは
大変素晴らしいことです

人には出来なくても
神様になら出来るのです

イエスさまの栄光が
地に満ち溢れますように

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