主観を委ねる

今日は 目が覚めると突如として
本当に神様の贖いを受け取ったのだから
全てから解放されている!という思いがあり
身体がとても軽く感じました

ところがその直後に寝てしまい
ある人が大変疲れていたので
マッサージをしてあげる夢を見たのですが

目が覚めると 肩がとても重くなっていました

最近 自分のサービス精神に寄らず
神様の恵みを流すものになりたい~という
思いが強く与えられているので

自分の努力で人に何かをしようとするのが
良くないってことの象徴だろうか と思ったのですが

その後にQTをしようとすると
この日記で何度か書いている
教会で神様に語られたそのままの言葉が
書かれていたのでびっくりしました

ルカの福音書12章49節
わたしが来たのは、地に火を投げ込むためです。
だから、その火が燃えていたらと、どんなに願っていることでしょう。

イエスさまは私に あなたは喜びの子と語られた後に
わたしはこれからここに火を投げ込むが
人々が焼かれることに心を痛めることなく
むしろ 隅々まで火が行き届くように
聖霊の油が満ちるように祈りなさい と言われたのですが
そのまま書かれていたことにびっくりしました

ルカの福音書は何度も読んでいるはずなのに
見落としていたことにも驚きました

恐らくその後に

ルカの福音書12章51節
あなたがたは、地に平和を与えるためにわたしが
来たと思っているのですか。そうではありません。
あなたがたに言いますが、むしろ、分裂です。

という なんとなく避けたくなるようなみことばがあるので
スルーしてしまっていたのだろうと思います

しかし 神様は火が消えないことを願っているのに
私はそれにより人々が苦しむことを見て
心を痛めてしまうことを指摘されています

今日の夢にも通じますが 今日のQTでは
そのことをはっきりと示されました

人の苦しみを背負ってしまおうとするのは
敵の嘘により間違えた主観を持っているからなので
その主観をわたしに委ねなさい というものでした

私がどこでそのような主観を育んでしまったか
それについても神様は明確に示してくださり
本当に 自分にとってこの件については
どうにかしたいと思っていたことだったのですが

主観=自分が感じることを委ねる というのは
頭で考えて出来ることでもありません

しかし委ねます と宣言した途端に
肩の力が抜けて軽くなったので
私には出来なくても神様には出来ることであり
そこに対するテコ入れをしてくださろうとすることに
心から感謝したいと思います

ここ数日 どうにかしてくださいー!と
叫んでいたことではあったのですが
自分の失敗 過失に顔を向けるのを辞めて
機体を持って神様の方だけを見ていたいと思います❤

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