人の思いを超える恵み

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今日は良くも悪くも久々に 人の思いに乗ってくる
背後の霊の影響というものを感じる日となりました

ノンクリスチャンの人に助けの手を伸ばしたからですが
人の背負っているものを負う時というのは
相手がクリスチャンでもノンクリスチャンでも
その人の霊的な問題も一緒に背負うことになります

その行いの究極がイエスさまであるわけです

イエスさまは 私たちの罪の全てを背負い死んでくださったので
人に対して愛を示そうとする時に 嫌だなと思うよりも
進んでやりたいという思いがあるのは確かです

が だからと言って自分自身がその重石に潰されるようなら
背負いたいと思ったところで神様が許してくださいません

溺れている人の手を掴んで一緒に溺れてしまうなら
人を助けることは出来ない ということを
過去にりゅくんが神様から受け取ったことがあります

逆を言うなら 過去に助けようと思っても
助けることが出来なかった人に
手を差し伸べることが出来るということは
自分自身がそれだけ神様の上にかたく
立てているということだと感じました

今年に入ってすぐに 祈りの中で
上からの光だけではなく 下からの光を感じた
ということがありましたが 今年のテーマの一つは
人からの愛を受け取るということもあるだろうな
というのを感じています

母との1年で実感しましたが
間違えた霊的背景をしっかり掴んでいる人と
じっくり向き合うというのは 単純に
祈って神様の祝福を願うというような
ところでは済まないところが多くあります

多くの人を教えるようなメッセンジャーであっても
著書の中に 身内や親戚 或いは引き取った子などのために
大変な霊的戦いを経験している人がいますが
そういうものなのだろうなぁと感じています

母と向き合う時に 母に手を伸べることが出来るのは
私しかいない ということを昨年感じましたが
同じように 私を通してしか神様が届かない人というのが
いるのだろうとずっと感じています

勿論 自分に出来ることというのはそれだけではなく
生来の召しについては同じことが言えると思いますが
私にしか出来ないことは 本当に私にしか出来ません

その中で人の思いとの戦いというのは本当に
厄介なものだなぁと思いはしますが
神様はそのようなものを遥かに超えた方です

気にも留めなくなる日がいずれ来るだろうと思いますし
そのような道が備えられていることに感謝します

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