神様が必要とされるもの

神様が人を介入して全てのご計画を為すとされたので
神様は 人が神様を信じることを必要とされています

神様の預言の中には 人が信じようが信じなかろうが
またとりなそうがとりなしをしなかろうが
必ず為すと仰っているものもありますが

こと 一人一人の人生に起きる出来事については
神を信じたものに 多くご自身を現わされます

ある本に書いてあったのですが
この問題は神様かお金のどちらかで解決が出来る
と 思っているうちは神様の介入は期待出来ません

同様に 神様が示したり動いたりしてくださらないなら
自分で考えて動かなければならないと思っているなら
それは 神様を信じているとは言わないのです

以前の私は 自分が誘惑に弱いと思っている領域について
周りの人が状況を動かしてくれなければ
テコでも動きませんということをよく宣言しました

自分が間違えたものを掴んで動くことを恐れた結果ですが
逆を言うと 神様は私が動かなくても他の人を動かして
私に道を整えることが出来る方であると信じたわけです

そして その信仰はその通りになりました

その後 自分の人生に破壊をもたらしていたものを
徹底的に洗い出して貰い 悔い改めやとりなしにより
敵を排除する祈りをし続けていたところ
ある時期になり もう敵の影響を受けることはない
という示しを頂いた時がありました(結構最近ですが

その後 自分の望みを神様に伝えることと
それに神様が答えてくださるという確信の
間にあった「敵の誘惑かもしれない」という恐れが
全くなくなっていました

勿論 自分の欲が先立って神様の声を聴く前に
動いてしまったのではないかと思うことはあります
ですが 自分の欲しいものを求めることに対しての
過剰な恐れというのは全くなくなりました

それこそが私の人生を支配していた敵の攻撃で
だからこそ 私は自分が望まなくとも
自分に与えられた賜物を上手に利用することで
諸々を上手に切り抜けてしまっていたのです

しかし 神様はその事に対して
一切ネガティブなことを示されませんでした

どんな動機(主に保身ですが)であれ
私がその賜物を用いて切り抜けたことについて
神様は 咎めることを一切されませんでした

ただ その全てを神様に委ねたいと思っても
良き管理者として立つようにと促されるのです

こう言っちゃなんですが
神様に指示して貰ってその通りに生きる方が
どれほど楽かと思います しかし神様は
そのようなことを人に望んではおられないのです

リスクを負うような時に 神様の示しに
忠実であって欲しいとは思っていらっしゃるでしょうが
人にはきちんと賜物を与えてあり
その管理者となれるだけの必要も既に
与えていると仰られているかのように感じます

クリスチャンの新生について
出荷前の元の状態に戻すといったニュアンスがあると
最近知りましたが 正にそれで
神様は 神様のイメージで人を創られており
人は決して奴隷やロボットではないということです

そういえば先日 りゅうくんのお話の中で
ひとつ強く感じたことがありました

物語で神様は 羊に対してまず
美味しい食事を与えられました
そしてすぐに 外に放り投げられました

羊が放り投げられた先には少女がいて
羊は少女を美味しい食事が与えられた
家へと連れて帰りました

羊は その家に行けば美味しい食事があり
そこに招かれた全員の食事があることを
全く疑っていませんでした

羊は 別にあなたは私の息子だとか
言われたわけでもないのに 既にその家の子でした

そしてそこで食事をしたものは皆
その家の子なのです

神様は次に 問題がある街へと
羊と少女と子どもたちを連れて行きました
そこで羊も少女も子どもたちも
やるべきことをやり やり終えると
神様と一緒に食事をしました

しかし 誰一人としてそれが
働いた報酬 賃金だとは思っていません
子どもが家でご飯を食べるのは当然のことなのです

ただ街に入る時 神様は一言だけ
これをやりなさい というお題をくださいます

そのお題に対してどう動くかについては
一切 裁量に任されているのです

そのお題はどういう意味だろう?と
先に進むとその糸口となるものが見つかるので
子どもたちはただ 心のままに進んでいきます

子どもたちが働くことに理由付けはありません
心に思う通りに動き 出来ることをやるのです

新しい街を見ることを楽しみ
食べたことのない食べ物を食べることを楽しみ
問題を見て 憤ったり悲しんだりして
問題が片付くと 喜びます

そして出されたお題をクリアすると次の街に行きます

これが私たちと神様との関係であり
裁量に任されている部分で私たちが
どのような選択をしたかによって
次が決まっていくというように感じます

成長 建て上げの過程だとも感じます

このことを通して良いなぁと思ったのは
羊が 報酬として美味しいものを得ているのではなく
美味しいものを得て安心しており
だからこそ 自分の力を最大限に発揮して
働くことが出来ているところです

そして 家に帰りご馳走を見ると
一心不乱に食べていますが それを
今日働いた報酬だとかは思っていません

交換条件ではないのです
家族だから家でご飯を食べるのは当たり前なのです

そのように恵みがあることを本当に感謝します❤

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