証をすることの重要性

りゅうくんが 神様に示されたことを私に伝えずに
ごたごたする ということが1度や2度ならず続いているので
これはどうしたものか と思っていたら

過去に 神様からの示しを受けて人と共有する時に
神様から示されていたのはどんなことであったかを
りゅうくんに教えるように と神様から促されました

その時に神様は

自分が神様から受け取って変わったのであれば
あなたの周りの人も変わるはずであり
もし周囲に変化が起きないのであれば
その変化が完全に完了していないのだと示されました

この件については 私にも変わる必要があるということです

この示しを受けて思い出したことがあったのですが
私も以前 神様から示されたことを人に伝える時
神様を信じる人なら誰もが無条件に
賛同してくれるものだと思っていたのに
それ 本当に神様からの示しなの?と言わることがあり
最初はその事が結構ショックでした

しかし聖書を見ると それと同じような状況が
ペテロに起きており ペテロはそれに対して
きちんと「説明責任を果たす」ことで周囲の人から
それは確かに神様からの示しだ と同意を得ています

使徒の働き(使徒行伝)10章で起きた
異邦人に福音を伝え聖霊が下るという出来事を
使徒の働き(使徒行伝)11章
異邦人と共に食事をしたということで
非難されるシーンがあるのですが

ペテロは 神様からの示しを丁寧に順番通りにすることで
人々は黙り そして

それでは、神は、いのちに至る悔い改めを
異邦人にもお与えになったのだ。(使徒の働き11章18節)

と言って神を賛美をしたのです

実は りゅうくんとの結婚について
周囲の人の理解を得ようとしていた時に
この聖句が私の中に示されていました

示されたのは私だけで これが神様からのものか
周囲の人はわからないから説明責任を果たしなさい

ということを神様からずっと示されていたのです

確かに 神様は同じ示しを他の人にも与えられていて
こちらから誰かに話しかけるよりも前に
他の人から示され これは神様からのものだと
確信を与えられる ということもあるのですが

この時のペテロのように ただ一人に示され
その行動を他の人から非難されたときに
神様から示されたことと それに応答して
自分が動いたことを話した時に 周囲の人は
「それは神様から出たものだ」と霊に示される
というケースもあるのです

りゅうくんが このケースを連日 何度も何度も
繰り返し受けた上に 私に神様から示されたことを
言ってくれないためにトラブルになるということが
続いている中で 私は単純に
「神様が何を言ったかを先に言って」という
表現をしてしまっていました

しかし実際には この聖書箇所と自分の経験した証を
セットにして話さなければいけなかったのです

この件について りゅうくんは
アダムとエヴァの関係において面白い洞察をしていました

アダムは神様から「善悪を知る木からは取って食べてはならない」
とだけ言われているのに エヴァは蛇に誘惑されたとき
「これを取って食べるな、これに触れるな」と
神様が仰っていない余計な命令が加わっていたのです

りゅうくんは もしかしたらこの命令は
神様からエヴァに伝えられたものではなく
アダムがエヴァに伝えられ その時に
余計な人の思いから出た命令が加わっていて
それが破れ口になったんじゃないか

と言うのです

そう思った根拠は りゅうくんが何度も繰り返し
神様から 受けた言葉は足しても引いてもいけない
足したり引いたりしたらその報いを受けることになる
ということを 強く示されているからです

使徒の働きのペテロのところもそうですが
新約聖書でこのように聖徒が何かを弁明する時は
本当に 丁寧にその通りに書かれており
余計なものを足されたり 省略されていることはありません

この事は とても重要だということなのです

しかしこの件について 確かにりゅうくん以外の
他の人が 何かトラブルを抱えていたり悩んでいたりすれば
自分が神様から頂いた経験(証)を聖句を交えて
説明することが殆どであるのに りゅうくんに対しては
感覚的に言葉を紡いでいたわけなので

もう少し りゅうくんに対しても自分自身にある
「教える」という責任を果たさないとなと思いました

つい「それぐらいわかるだろう」という思いが
出てしまっていると感じるので 悔い改めます

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