敵の嘘を焼く聖霊さまの炎

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自分にとって良いと思い また神様の目からも
良いものだと思っていることを
人の価値観であれこれ言われるのは
そうでなくても大変不愉快なことですが

間違えた価値観というのは
敵の嘘を信じている状態なので
その言葉には 敵の影響が含まれてしまいます

敵には力はありませんが言葉には力があります
そして人は 唯一神に似せて創られ
地において唯一 言葉を発する生き物です

神様のみことばを宣言するときに
言葉に力があるのと同じ様に
敵の嘘を言葉として発するとき
人は敵に力を与えてしまうため

敵の嘘が言葉になるとき ただ聞いて
不愉快であるという単純な話ではなく
そこには霊的な攻撃が潜んでいるのです

私はあまり(というか殆んど)
人の価値観と関係がない世界に
生きるという幸いを得ましたが

自分の周囲に破壊をもたらす存在が
全く居なかったわけではありません

むしろ 破壊をもたらす存在は
いつどこにでもいました

その多くの人と私は 完全な決裂または
和解のどちらかをしてきましたが
そのどちらでもない 中途半端な状態で
関係が完了していなかったことが
いくつかありました

そういった関係の特徴は
私が折れる必要性を全く感じないのに
仕方がなく折れた というケースで
今思うとそれは 神の目に正しいことよりも
人の世の気遣いを選んだ時だったと
言うことが出来ます

私が折れたので相手は私を
高く評価し 表面的には和解したかのように
関係があったわけですが
私が納得していないのです

何せ不条理なことなので
何度思い返しても納得がいきません

しかも その煮え切らない感情の裏に
敵の支配があるわけですから
それを打ち砕かなければなりません
イライラしてその人を裁いたりすれば
敵の思う壺であるわけです

いつもの通り りゅうくんに話をして
一緒にとりなしの祈りをしてもらい
それですっきりと終わると思ったのですが
しかし今回は それだけではなかなか
すっきりしないことがありました

暫くしてそれは 私自身は
全く意に介していないのに
人があれこれ言うものだと気付きました

私と関係がないので 私の思いから
追い出しきれていなかったのです

しかしこの件については 敵の存在に
気付きさえすれば簡単な問題でした

神様に向き直れば良いだけなのです

このときは神様のみことばが欲しいという
飢え渇きが来たので みことばをください!と
神様に叫ぶとマタイ3:11と示されました

マタイの福音書3章11節
私は、あなたがたが悔い改めるために、
水のバプテスマを授けていますが、
私のあとから来られる方は、
私よりもさらに力のある方です。
私はその方のはきものを脱がせてあげる
値うちもありません。その方は、あなたがたに
聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。

そして 次の12節を読もうとすると
読むのが怖いというか嫌な気持ちがしました

ということは このみことばを恐れる存在が
居るのだと気付いたので それを読みました

マタイの福音書3章12節
手に箕を持っておられ、ご自分の脱穀場を
すみずみまできよめられます。麦を倉に納め、
殻を消えない火で焼き尽くされます。

聖霊さまの炎をこのみことばで宣言した時
敵の影響が消えてすっきりとしました
本当に ただのゴミだったなと思います

嫌なことを聞いたときに
人はそういうものだ と受け入れては
いけないんだなぁと改めて思いました

地において敵に奪われていた権威を
きちんと全て取り返させて頂けること

自分の内にあるゴミを隅々まで炙り出し
焼いて頂けることに感謝します♥️

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