自由意思にある責任

今日は 朝に母から連絡がありました

母の友人であり 私が幼い頃お世話になった方が
怪我をして 家で不便に過ごしているらしいので
お見舞いのお菓子と食べ物を買って届けて欲しい
ということでした

りゅうくんは今日から夜勤なので
今すぐ一緒に行くか 明日にでも
私一人で行くかだと思いましたが

りゅうくんが行くというので
どのお店に行くかを神様に確認して
直ぐに出掛けました

昨日の日記を読んでもらったっていたので
結局まだ臆病の霊に打ち勝てていないのかーと
頭を抱えていましたが 臆病の霊というのは
実は相手を支配しようとする霊でもあるので
神様に従順になるのが難しくなります

今日も今日で りゅうくんの判断に対して
違うと思うけど?と言ったにも関わらず
楽な方を選んだ(だからこれでいい)と言い切られました

その選択は違うでしょ? と言っても
楽な方がいいと頑なになり改めなかったので
それ以上言いませんでしたが
結果 私も不快な思いをしたし 何より
りゅうくん自身が困る事態が起きました

もしこれが人間的な学びであるなら
目先の楽さを選ぶのではなく自分の行動の結果
自分の選択により何が起きるかをきちんと考えて
状況判断が出来るようになりなさい
という話になりますが

神様の学びになると
神様がこちらにしておいた方がいいよと
お勧めする方が絶対良いはずだと
自分の選択を手放すことにあります

従順を学ぶということでもありますが

りゅうくんは年末に 私が言うことは
何でも良いことだと信じて受け入れることで
神様の声に従う練習をしてみよう という
お題をリーダーから頂いています

違うと思ったら先導して正してくれれば
良かったじゃないかと言われましたが
私が主導でやるのでは意味がないのです

神様は 示しに従わなかったからといって
力ずくで良い選択肢を押し付けてくださる
なんてことは決してされません

神様の微かな声に耳を傍立てて
自分で選び 行動しなければいけないのです

これは自由意思を与えられている責任です
良いものがどれかは教えるけど
良いものを選ぶかどうかは自由なのです

良いものを選べば良い実を刈り取り
そうじゃないものを選べば
自分の行いの報いを刈り取ります

りゅうくんが良い選択をすれば
私もその恩恵を受けます
ですからりゅうくんには良い選択をして欲しい

でも無理やり私がやらせることは出来ません
これはこれで私の訓練だなぁと思います

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