神様の枝となり実を結ぶ者

今日は イエスさまの誕生日ですが
朝に その事をお祝いする祈りをすると
もう気持ちは次へと向かっていることに気付きました

私自身の気持ちは既に次へ行っているのですが
そこに対する霊的な大きな攻撃はありました
大きな転機であるからでしょうが
残っている問題が炙り出されたようでした

いつも 私が本来のやるべきことに
立ち返ろうとすると来る攻撃があるのですが
それは 私に触れることも出来ないし
私を神様から引き離すことも出来ません

しかし 目に入るなら矢張りそれは
決して気持ちの良いものでもないですし
それにより気分が害されるのも確かです

ただ 決して私にそれが触れることはない
その事がとても象徴的に現れた出来事があり
同時に それに対して 過去の自分がどの様に
間違えた対処をしていたのかについて示されました

神様の守りを知らなかった時に
私が間違えた戦い方をしていたために
足元を見られてしまっていたことを
いくつも思い起こされました

知らずに犯した間違えは罪に定められません
しかし 敵の足掛かりにはなってしまいます

それを思い起こされたので
悔い改める祈りをしたのですが
神様は 罪悪感を抱くのではなく
恵みを受け取るようにと示されました

その間違えの代償は全てイエスさまが
支払ってくださったのだから
それを受け取るようにと示されたので
感謝して それを受け取る宣言をしました

敵は嘘で私を縛ろうとしますが
それら全てに神様は光を当てることが出来ます

ただ 自分が光を当ててもらうために
それを現すかどうかだけなのです

自分の思いによるのではなく
神様の導きとみ恵みにより為せること
その事に心を開けることは幸いなことです

神様に壊され用いられるために
労苦を積み上げる人がいます

一方で 神様と共にみこころを産み出し
増やす人がいます

聖書には そのどちらも書かれていますが
神様がどちらを愛しておられるかは明白です

神様は 一緒になさりたい神であり
人の労苦を無にしたい神ではないからです

しかしそれを望む人は確かにいます
それは 神様が与えられた思いなのでしょうか

神様は 刈り込みます それは
神様に繋がったものがより多くの実を結ぶためです

刈り込まれ 捨てるべきものを正しく選び
より多くの実を結ぶ者となれますように

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