御国の住人として祈る

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昨日のとりなしの祈りを経て
自分の中で 今まで考えたことも
なかったような思いが与えられました

ある意味 この思考は至極普通のことであり
健全なことであるように思うのですが

私は何かについて祈る時に あまりにも
自分のことであるかのように 自分に寄せて
祈ってしまう癖があったのですが

むしろこの件については 一歩引いた位置で
祈るべき事柄なのではないかと感じたのです

それは ある意味では亡くなった方のことや
私自身が会ったことのない人について
祈る時の感覚に近いような気がしました

祈る相手と自分の間に距離があり
横にはイエスさまが居てくださり
一緒に祈るような感覚でした

その様に感じてから 昨日
とりなしの祈りをしている時に
(恐らく聖霊さまに満たされてですが)
私は この世の人として祈るのではなく
御国の住人としてこの件を祈ります!と
宣言していたことを思い出しました

クリスチャンになって直ぐの頃に
父の家を忘れよ と神様から繰り返し示され
今では自分は神様の子としての
アイデンティティを持っています

しかし 親や親族について祈ろうとする時に
言うなれば「その家の子」だった時の
感覚に引き戻そうとする力が強く
働くことを感じたのです

群馬に来て母と頻繁に逢うようになった頃は
母からそのような発言が多くありましたが
しかしそれについては不思議なことに
私自身が揺るがされることは全くありませんでした

しかし 祈りの中で引き戻そうとする
力を感じるということは そこに
敵の要塞があるということなのでしょう

母は 肉を持っており物理的に別物なので
その発言に私が左右されることはなかったですが
思いの中にある敵の攻撃については影響がある

敵との闘いが人(血肉)に対するものではなく
思いの領域にあるということが
物凄くわかりやすく現れているなぁと感じました

尚且つ 敵というのは盗み見て敵同士で
報告をしあうので それがまるで
テレパシーであるかのように悪い感情を
与えあうこともあるので厄介なのですが

しかし 神様を通じて祈るとき
こちらの思いがそのままに相手に
ただ届くだけ ということはありません

逆を言うと敵はそれしか出来ませんが
神様が間に立ってくださる時
神様は私たちの思いを遥かに超えた
思いを人に与えてくださいます

正直 この件について何を中心に置いて
祈れば良いのかまだよくわからないのですが
この祈りは 祈ることにより何かを
学ぶ機会なのかもしれないと感じています

この件について私の中に 希望というか
こういう落とし処を望むといったような
具体的なイメージは全くありませんが
私が自分の内にある敵の要塞を壊すことで
どの様な素晴らしい事が起きるのか
神様に期待する思いで溢れています

先日の預言セミナー以降だと思いますが
日々の生活の質が物凄く向上して
りゅうくんとの会話や親密さも今までと
違う次元に入ったことを感じているので
(りゅうくんと神様の間にあった壁が壊され
りゅうくんが以前より自由になった感じ)

この先どんなことが起きるのかなと
本当に とても楽しみです♥️

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