新しい視点

昨日 りゅうくんが神様のレーマを
受け取ってくれたことを書きましたが

それとは別に よい夫婦の日の
贈り物としてのメッセージを
贈ってくれました

それは まるで雅歌のようでした

また 寝る時だったか起きた時だったか
よく覚えていないのですが

りゅうくんと 幼い頃の話を
たくさんして それぞれに
幼い頃の素直な自分というものを
思い起こす時間がありました

私自身の子どもの頃の記憶は
とても特異な出来事ばかりなので
りゅうくんの 子どもらしい
子どもの頃の話にとても癒されました

また 出逢うきっかけとなったゲームで
出逢った時の印象は聞いていたのですが
よく遊ぶようになってからは
どの様に思っていたのかを聞いてみました

すると 毎日遊ぶのが当たり前になってからは
私が忙しくて遊べなかった時でも
来ないかもしれないと思いつつも
ずっと待っていた

と聞いて 泣いてしまいました

当時の私は 勿論毎日遊んでいる相手が
来なければ心配するよなと思って
どんなに忙しくても 挨拶だけは
しようと思っていたのですが

そうは言っても たまたまいただけで
自分が待たれていたとは
考えてもみなかったので

ずっと待っていたのに 来たと思ったら
挨拶だけしていなくなられるのも寂しいよな
と思ったら 泣けてしまったのです

その後に でもきっと子どもが産まれたら
こんな思いをたくさんさせるんだな と思いました

何か用事があるとき 仕事があるとき
幼稚園や保育園に行くようになるときに
たくさん 寂しい思いをさせて
いずれは一人の時間や友達たちとの時間が
大切に出来るように成長していく

そういう時に 自分に居場所があり
愛されているという確信を持てることは
どれ程大切なことであるかと思いました

以前の私なら その様な成長過程と
向き合う余裕はなかったと思います
自分のことで精一杯で
ただストレスに感じていたと思います

というより ストレスに感じるのが
嫌だったから 人が私を待っていると
考えたくなかったのかもしれません

また勿論 どんな時でも神様は
一緒にいてくださるので心強いですが

しかし 神様の愛に入っていくのにも
親に愛されていることを確信することが
強みになるだろうことが今ならわかります

若いうち 或いは幼いうちに
神様の愛を知り その導きの道へ
健全な形で入ることが出来るなら
それに越したことはありません

その為の土台を築き支えあうことは
人にしか出来ないし それは神様の御心です

私の学生時代 母が頼りにした
偶像崇拝をする人たちは
私のことや 私の友人のことを
家を壊すものだと言いましたが

偶像により建てあげられてきた
呪いの家を壊すことこそ
御心であったことを感謝します

偶像による全てが打ち砕かれ
神様があらかじめ私に用意してくださっていた
良いものだけが残りました

盗み壊すもの 尚且つ
自分達が盗み壊している癖に
正しい人を悪く言う不法のものたちは
正しい裁きをすることの出来る
唯一の方により一掃されました

古いものは全て過ぎ去り
新しいいのちに招き入れられたことに
心から 感謝をします

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