神様のレーマに従う

昨日のことと関係するのですが

イエスさまは本当に
滅びる人にも悔い改める人にも
全ての人に愛と御恵みを注がれ
それは 神様のご性質そのものだな
と 思いました

出エジプト記において
エジプトで大人になった
全ての人は 約束の地に
入ることが出来ませんでした

その事は 旅の途中ではっきりと
神様から宣言され 人々は泣き
中にはそれを何とか取り戻そうと
神様が制するのを無視して
命を落とした人もいました

モーセも 彼等の頑ななことに
腹を立てて神様の憐れみ深さを
人々に示さなかったため
約束の地に入れませんでした

約束の地には入れませんでしたが
最後まで神様の友と呼ばれて
御国には入ることが赦されていましたし
次の世代を約束の地の前まで導き
継承するべきものを次の世代へ
伝えるという仕事はやり遂げました

モーセをはじめ 信仰を讃えられる
人々は 神様に示されたことのために
多くのことを捨てました

アブラハムも 家を捨てて
旅立ちましたが
約束のものをこの地において
見たわけではありません

モーセも ヘブル人をエジプトから
連れ出しなさいと言われて
平安な隠居生活を捨てました
その前には ヘブル人のために
王家の生活を捨てていますが

人を殺したという罪のことではなく
エジプト王家の刹那的なものより
神の民としての永遠の約束を選んだと
新約聖書において讃えられています

私が 神様に捨てるように
示されたものの中には
聖書には大切にするようにと
書かれているものもたくさんあります

ですから 始めのうちは
神様何でですか!と
泣くことがたくさんあり
孤独を感じることも多かったです

しかし イエスさまがその後に
もうこの様なことは決して
起こらないという約束をくださり

また その約束をしてくださった
場所と同じ場所で りゅうくんが
私たちを通して救われる人の
プロフィールが書かれた紙の山を
ビジョンで見てくれました

それは 私の後ろにあり
当時の私にはそのビジョンは
見えませんでしたが

しかし 孤独を感じる中で
私が救うべき人のために
必要な全てを得させてくださいと
一人で祈ったことの答えだと思いました

昨日の日記で ビジョンを
掴むことが大事だということを
書きましたが 私の心にまだ

その掴むものを見るために
顔をあげられない程に
傷付いている部分があるのです

今月最初のQTでその事を
示されたものの 私はその事に
向き合うことが出来ませんでした

神様は 向き合いなさいではなく
癒されなさいと仰有られたので
癒されることを受け入れることが
出来るように祈ります

自分の悟りに依るのではなく
神様によりそれを受け取ります

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