捨てるために必要なものを受ける

今日はQTを通して
あなたはまだ捨てるべきものを
完全に捨てきれていない
ということを示されました

それが何かということは
重要ではないので書きませんが
捨てるにあたり 大切なものが
何かについて示されたことを書きます

それは ビジョンです

イエスさまは 十字架の先に
私たちを得ることを見ていたから
目の前の人たちがどんなに
イエスさまを高くしようと
また 低くしようと
全く意に介されませんでした

エルサレムに入った時に
ホサナと言った人々が
十字架につけろと叫ぶことを
イエスさまはご存知であり

しかし ホサナと讃えられることは
聖書の約束であるから
それは成就するべきでした

その預言の成就は 後に
聖書を読む私たちが
イエスさまこそが真のキリストだと
知るためであるのだと思います

また バプテスマのヨハネに
水のバプテスマを授かる時に
これはわたしたちにとって
正しいことだと仰有られたのも
後の私たちのためであると思います

目的のためであり 神様のためであり
目の前の人の気持ちのためでは
ありませんでした

しかし バプテスマのヨハネを
今までの預言者の中で
最も高いものであったと示され

イエスさまを十字架につけろと
殴り 唾をかける人々に対しても
この人たちは何をしているのか
わからないのですととりなしました

全ては 神様のご計画の成就と
先に得るイエスさまの報酬である
私たちのことを思うから
それが出来たのです

イエスさまを十字架につけろと
叫んだ人の中にはきっと
聖霊に満たされたぺテロにより
悔い改めた人がいたことでしょう
イエスさまは その事を
ご存知だったのです

それは ぺテロが三度
イエスさまを知らないと言ってしまうことを
ご存知だったのと同じなのです

冒頭の話に戻りますが

確かに私は 過ぎたことにも関わらず
良い状態になった後にでも
あの時はこうだったのに と
思ってしまうことが結構あるので

もっとはっきりビジョンを見ること
また 仮にビジョンを見なくても
先には全てが益になることの方に
もっと意識を向けたいと思いました

また 逆にそう思っているにも関わらず
神様が 感情をそのままにと
示される時というのは
自分の至らなさを責めるのではなく
別の何か理由があることに気付き
神様に協力しようと思いました

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