時を知る

今日はQTをする中で 過去に
理由がわからなかったことについて
解き明かしを頂きました

具体的に書くのは避けますが
自分にとっては当たり前だけど
人にとって当たり前だとは
感じられない事柄について

聖書に基づいた判断ではなく
人による判断が為された時
単純に 背後におかしなものが
いることがわかっているのなら
それを縛り上げることが出来ます

しかし それが人の間違えた
信念であったり 恐れである場合は
祈れば良いというものでもなく
その人が良い方向へと
神様により導かれることを
祈る必要があります

イエスさまも パリサイ人の
立ち位置に対して
彼等はモーセの座を占めているので
彼らの言うことは聞きなさい
しかし彼らの行動を真似てはいけません

と 教えられていますし
神様の願いは 彼等が滅びることではなく
悔い改めて神に立ち返ることであり

その時に彼等が受け取るものが
大変素晴らしいものであることは
周りの人さえ期待する程のものです

この事を理解出来なかった時は
まだその時ではない ということに
目が行ってしまっていましたが

今朝 神様はその希望に
目を向けるよう示されました

というより もうそれは約束され
受けることが確定したもので
それは何によっても損なわれることがない
ということが理解出来たのです

聖書に書かれていることとしてではなく
自分のこととして それがわかりました

時を知る ということは
今は隠されるべき時だと
癒した人々や弟子たちに
口止めをしたことも含むのです

しかしそんな中でも
イエスさまの母マリアは
カナの婚礼において神様の
みわざを引き出しました

私たちが味わえる前味というのは
カナの婚礼のようなものも
含まれるのだなぁと思いました

今がどんな時であろうとも
神様を信じ そのみ恵みにより
養われる人生は最高に素晴らしい

神様が私たちの内に
住まわれる時代に行かされており
神様のみ恵みにより生きることが
出来ることに 本当に感謝します❤️

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