神様の喜びを求める

QTで受け取った神様からの掲示を
ノートに書き残そうと思い
取り敢えず10月のQTを拾ってみようと
データを拾っていたところ

1日だけQTをやり忘れていた日が
あったことに気が付きました

1日だけ というのが大変気になり
穴埋めをしようとQTをしました

今まで何度も読んだこともあるし
礼拝やセミナーなどでも何度も
引用される有名な箇所でしたが

今日は とても新鮮な思いが
神様から与えられました

人の家の屋根を壊して
友人をイエスさまの前に
連れてきた人々の話です

中風(脳溢血の後遺症)で
動くことも立つことも出来ない人を
4人の友人が担いできて
人の家の屋根に登り 屋根を剥がし
イエスさまの前に吊り下ろしました

それを見て イエスさまは
罪の赦しを宣言します

神を求める者に対して神様が
憐れみをかけてくださることを
学ぶ箇所と今までは感じていましたが

神様はここから
多くを得たものも多すぎず
少なく得たものも少なすぎなかった

ということを語られました

出エジプト記で 神様に対して呟き
肉を求めた人たちには
多くの肉が与えられると同時に
裁きも与えられました

人々が 神様を恐れて
律法を守るから神様には
モーセだけが近付いてくれと言うと
律法を破ったもの 預言者に楯突くものが
裁かれる時代がやってきました

しかしモーセは 全ての人が
聖霊に満たされてその声を聞くことを望み
それは メシアなるキリストのあがない
神様の救いとして成就しました

またイエスさまの時代
心をかたくなにしてイエスさまの
処刑を望んだ人たちは
イエスさまの死と共に
子孫にまで代々続く呪いも
望んでそれを受けました

しかし イスラエルの復興を
望む預言者たちの泣き叫ぶ祈りにより
イスラエルが神に立ち返るまでが
預言され それは今成就しつつあります

神を信じ それを望むものは
それが神様から出た望みでなくても
確かに与えられているのだと
神様は示されました

神様はいつも ご自身が人に対して
望んでいるものを人が受け取らなくても
謙遜に それを与えられており

しかしそれを得るときに
報いも一緒に受けているのだと
神様は示されました

私は 神様が私に望むことだけを
全部受け取りたいなぁと思いました

自分が望んだものが得られても
神様が一緒に喜んでいないのは
絶対に絶対に嫌だなぁと思いました

望んだものが得られるだけで
神様が喜んでいないなら
それは 滅びの時が来るときに
全部 ごみになるだろうと思うのです

肉があるうちは ごみを出さずに
生きることは不可能ですが
しかし 出来ればなるべくそれは
生きているうちに捨て切り
神様がくださるものだけで
満たされていたいなぁと思いました

そう思うとき

自分の価値観が ここ数年で
全く創り変えられたことを感じます

以前は 人が自らの望みで
悪いことをして滅びを得る時
本人が望んでいるのだから
仕方がないと思っていました

しかし今は
敵の支配から 呪いから完全に
自由になった上での選択でなければ
それが本人の選択だとは限らず

神様の救いを 神様が与えたい命を
本当の意味で知ることというのは
一人ひとりが神様と歩く過程で
勝ち得ていくものなのだろうと思います

神様のご性質を愛し
神様のみ言葉を愛する時
その守りの中に入ります

私は 自分に与えられたその領域を
かたく守り 広げる責任があり

神様は そのために必要な備えを
いつでも必ず与えて下さるので
わざわざそれを外に探しに行く必要は
ないことに感謝したいと思います

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