神様の土地

先日 集中して土地の祈りをして
歩いたエリアがあったのですが

1週間後ぐらいでしょうか

その通りを再び通ったら
もう使われていなそうな
古い建物(商店?)に

天井ぐらいまで高く
積み上げられたゴミ袋の山が
道路にまではみ出していて
物凄いびっくりしました

それだけのゴミがどうしたら
この建物から出てくるんだ
という量だったのですが

そういえば過去に住んでいた
アパートでも 霊的戦いの直後に
家の中の半分を埋め尽くしそうな
大量のゴミが出されていたのを
思い出しました

打ち破りと解放があり
霊的大掃除があったと信じ
更に御国を迎えるための
準備が地で為されるよう
祈りたいと思います

人には 賜物に応じた
重荷というものがあります

先日 霊的賜物を確認するための
チェックシートが配られましたが
その中で 面白いなと思ったのが

人を運命(目的)に導くことは
最も重要なことです

人を愛することは
最も重要なことです

という2つが並べられて
自分に当てはまる方に
○をつけるという
選択肢があったことです

勿論 クリスチャンにとって
愛は最重要ですが

しかしこの選択肢を目の前にして

人を使命に導くことで
幸せになって貰うことの方が
私にとっては重要だから
愛することは他の人に任せよう
私は神様を愛することだけに
注力しよう と迷いなく思いました

愛は 私にとっては
あまりにも重要過ぎて
限られた相手だけにしか
深く注ぐことが出来ません

と いうか 神様が私に
定められている
愛するべき人の人数は
今の時期はそう多くないと
感じています

私の重荷としての愛については
そんな感覚なのですが

しかし神様による愛というのは
私の愛には全く依存せず

神様が私を通して愛を
現そうとされるなら それは
無尽蔵に与えられます

私が愛さなくちゃ と
気負うようなものではなく
私は 私にしか愛せない人のために
遣わされていることを感じますが

しかし 人をその人の目的に
向かわせることや建て上げることは
私の思いすらすっ飛ばして
私の周りで神様がなさって
くださっていると感じます

勿論 実際には私が言葉を
発しているのですが
自分がやっている感覚はなく

呼吸をするように 当然のことを
している感覚でありながら
楽しくて それをしているときは
私自身が命を受けているようです

イエスさまが サマリヤの女に
伝道した時に仰有られた
あなた方が知らない食べ物とは
これのことだと思います

そのように人に遣える時
私は今神様の仕事をしている
と感じ 仕事の報酬が必ず
与えられることを確信します

その時の全ての原資は
本当に無尽蔵であると感じます

人によって 与えられた領域や
範囲は違うのでしょうが
最近 りゅうくんが頻繁に
出エジプト記16章にある

多く集めた者も余ることはなく
少なく集めた者も
足りないことはなかった

というみことばを言いますし
私自身も 多すぎないか?と思うと
神様から 身の丈 と示されました

地境を広げてください!と
祈っておきながら 実際に
地境が広がる時には
過去の失敗経験が恐れを
もたらすのだなぁと思います

しかし そこにあるのは本当に
平安のご計画しかありません

点で見てしまうと本当に
どこに心を置けば良いのか
迷うことも多いのですが

神様がご覧になる完成形から
後ろを振り向くように
今を見ると そこには
神様の情熱が生き生きと
息づいているように感じます

これを見ることが
私に与えられた賜物で
あるのだとしたら

私がやるべきことはやっぱり
神様を愛し賛美することで
あると思うのです

神様 あなたのご計画は
本当に素晴らしく 完璧で
私は100%あなたに賛同し
あなたの御名を褒め称えます

そのように とりなしの
祈りをすることが出来るのは
何にも変え難い特権に思います

人が解放されて幸せになり
愛を表すべき人がそれぞれの
愛を表すようになる

そのための土台を据えることが
私の仕事であると思うのです

愛することはそこに住まう
一人ひとりの責任であり
その責任は私にあるとは感じません

しかし 人々が呪いから
解放され 本来の姿へと
戻っていくことについては
重荷があるのです

愛することについてはむしろ
人の仕事を横取りしては
いけないとさえ感じます

私は 私の範囲で愛を現します
私は 神様が私に与えてくださる
やり方で地を愛します

地の呪いが打ち砕かれ
人々の思いにある要塞が砕かれ
神様が全ての人に
触れてくださいますように

私が踏んだ土地は勿論
私が見た全ての土地を
神様が選び取ってくださることに
本当に 心から感謝します

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