神様の愛で祈る

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自分にとって大切なことが
ある人たちにとっては大切ではない
ということはよくあります

人「たち」と書きましたが 大抵の場合
そういった人たちは「集団」で存在します

一つには それが嫌だと思う人は離れていき
嫌だとは思わない人が残るからだと思いますが

そこには土地の呪いというものも
あるのだろうなぁと感じたことがあります

良いことについては継承されるべきですが
悪い習慣はどこかで絶たれる方が
勿論良いだろうと思います

今日は 私の価値観においては
絶対にありえない と思うことがありました

車を持つには車庫証明が必要ですが
時間がなかったので書類作成を
不動産屋に有料でお願いしたところ
書式が間違えていた上に記載をミスしており
ミスしちゃいましたがいいですよね
と 渡されたのです

書式が間違えていたことについては
無自覚でしたし
ミスしたことについては
わかっていたのに出してきたのです

お金を払っているのに と文句を言って
書き直させることも出来たでしょうが

時間がなかったこともありましたし
そんなものを出してきていいですよね?
なんていうことが出来る人と
まともな会話が出来るとは思えなかったので

そのままお金を支払って出てきて
二度とこことはお付き合いを
しないでおこうと思いました

それは警察に提出する書類だったので
誤字があったり欄外に書き直しされたら
使えないから書き直してねと言われましたが
驚いたことに そもそもでこの書式じゃないから
別のに書き直してね と言われたわけです

心から呆れました

お金を取って書類を作成しますと
言う人の仕事ではありません

仕事に誇りを持っているので
こういうことが出来る人というのは
本当に 苦手ですし
もしこれが大阪だったらと考えると
返金じゃ済まない大クレームに
なるだろうなぁと思いました

実際 りゅうくんに話すと
暴れたいと言っていましたが(苦笑

しかし 祈ると神様は
人間関係を保つことを示されたので
その時は ただスルーしておこうと思いました

ですが 後になって考えて
スルーするというのは無関心で
愛がないことなんだよな と思いました

そして自分の心を探ると
赦すことで自分も同じように
レベルの低い仕事をするように
なってしまう 妥協になるという
恐れがあることを感じました

イエスさまが人々を赦したからと言って
罪を犯すことはありませんでしたから
この考え方は間違えていると思い手放しました

すると もう一つの恐れに思い至りました
それは 悪い状況にテコ入れがある時に
試練と思えるような痛い状況に陥ることがあり
それに対しても 同情する思い

痛い目を見るぐらいだったら
何も知らず悪いままでも良いんじゃないだろうか
という間違えた思いです

これは間違えなく絶対に違います
痛い目を見てでも気付いて良くなる方が
絶対に良いに決まっています

いずれも 敵の嘘を
掴んでしまっていたなと思いました

ともあれ その会社に対して
悪い習慣が改まり 仕事の質が改善し
発展するようにと祈りました

更に その思いはその不動産屋だけに留まらず
他の不動産屋に対しても同じように
祈る思いが与えられ

その祈りこそが 神様が
求めていたものであるように感じました

土地の祈りの延長線上にあった
出来事だったのかもしれませんが
それにより 自分自身の内側にあった
敵の嘘も手放すことが出来ました

自分にとって痛手であっても
愛を持ってとりなしの祈りをするとき
その痛みすらも感謝する対象となる

ということは 兄弟姉妹を祈る時
愛する人に対して祈る時は
感じたことがありましたが

自分にとって敵 とまでは言わないにしろ
自分に不利益を被らせた他人に対して
同じように祈ることが出来るとは
思ってもみませんでしたが

神様がこの地をとっても愛してくださり
地に神様の愛を流したいと
思ってくださっていることを
強く感じることが出来た

自分の愛ではなく神様の愛で
祈ることが出来ることに本当に感謝をしました

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