神様の召しに整列する

今日は とある理由で
クリスチャンになってから
今までのことをさくっと
文章にまとめる機会がありました

その事とは直接関係はないのですが
近日教会に来るゲストの著書を
読んでいて 自分たちに与えられた
召しって何だろうね ということを
りゅうくんとよく話をしていました

りゅうくんに与えられている預言は
ユースミニストリーと
クリエイティブなこと という
比較的未来に向かった具体的なことです

しかし私の場合 過去を取り返すことや
知恵知識のことを言われることが多く
具体的な召しというのがどれか
なんとなくいつも曖昧でした

以前 ビジネスセミナーに参加した時
私が本来の私の召しではないのに
掴んでしまったことがあったことに
気付かされ 手放したことがありました

その時のように 私はどちらかというと
余計なものを手放して
本来の召しに整列しなければ
ならないと感じています

突然大きな示しがあり
それに向かい神様が御手を動かされ
これが私の召しなのか?と
掴んでしまったらそうではなく

ある目的の為だけの一時的な
神様の働きだった ということが
実はかなりたくさんあります

対して 神様のことを知るより前から
私の周りで起き続けていることが
あるわけですが しかし私は
その事について大変傷付いていました

今読んでいる本の中に
本来の賜物を建て上げるために
他の賜物が先に現れる という
ニュアンスのことが書かれていたので
それに近いものかなぁと感じています

ともあれ

今 目の前に現れているものが
必ずしも私の召しでもない

というのは 私だけではなく
周りの人にとっても困り事でした

しかしそれもそろそろ
1つの区切りを迎えるのかなぁと
神様に期待してわくわくしています

次のステージ 或いは
もっと違う表現が相応しい何かが
私達だけではなく周囲の人にも
喜びと励ましと より深い
神様との対話をもたらすことを祈ります❤️

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