自分の賜物を神様に捧げる

何年か前に あるとりなしの人から
毎月11日にリバイバルの鐘を
鳴らす という預言的行動を
引き受けました

5000個の小さな鐘が
世界中のとりなし手に
渡されているうちのひとつです

月に1度だけでは
絶対忘れる自信があったので
ほぼ毎日鳴らしているのですが

矢張り11日は特別な日
という思いで鳴らします

今日は その時間の直前に
りゅうくんとちょっとした
すれ違いがありました

それが昨日に引き続いて
2日連続だったので
何か深い意味があるだろうな
と感じつつ鐘を鳴らしました

すると 神様より
私達に対して 目覚めよ
という語りかけがありました

賜物を用いることに対して
過去にどんな傷を負ったとしても
それが例え 代々続く
呪いであったとしても
何故わたしに期待をしないのか

と 語られました

希望を持つことも嫌だ
関わりたくもない と
思うようなことに対して

…例えば 人前に立つことが
心底嫌いな人が 人前に立つことを
神様から示されたとして
それを切望することがないように
避けてしまっていることについて

目を覚ましなさい と
示されたのです

さて どうしたものかと
その時は思いましたが
心に止めておくことにしました

そして 寝て起きた時に
このような祈る思いが与えられました

この賜物は私が扱うには
重すぎるので神様に捧げます
どうかあなたが用いてください!

すると 突然物凄く軽くなったのです
肩の荷を下ろした瞬間でした

この事は とあることについて
牧師が見たビジョンと祈りを
適応した結果でした

霊的なみ恵みを受けている
ということをとても感じました

そして実際に その祈りにより
物事は動き始めたのです

私達は イエスさまのもので
イエスさまのお手伝いをするために
全てのことをしています

世の目で見れば自分の人生の
ことであるかもしれません
ですが 私達はそれを自分のこととして
背負うことはしないことを宣言します

全ては 神様の栄光を現すため
その為に神様に用いて頂けることに
心から感謝をします❤️

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