自分の十字架

今日は 自分の気持ち的には
とても受け入れ難いことでありつつ

これは自分自身を成長させるため
自分自身を神様が削って
美しくされようとする
訓練なのだとはっきりわかるような
出来事がありました

それと向き合う機会は
過去に何度もありましたが
私はそれに向き合うつもりは
ありませんでした

ですが 向き合うつもりがなくても
何故か「上手く対処出来てしまう」ので
心は全く伴わないのですが
いつでも 出来ればこの件とは
二度と関わりあうことが
ありませんようにと祈っていました

しかし無関心というのは
愛から一番離れたことです

向き合って愛することが
私の課題なのだ ということ
そしてそのためのサポートは
充分に用意されているということを
強く感じる日となりました

自分の努力によって
このことを為す気は
正直皆無なのですが

しかし 二度と起こらないようにと
祈ることについては
諦めるべきだと感じました

神様のイメージ通りに
作り替えられることを
喜んで 期待して
受け入れられるように
どうか私を整えてください

と 祈ろうと思います

私は神様が作られた私以外に
なることは決して出来ません

このことを祈っているときに

神様は 未来の私を知った上で
愛してくださっているのだから
大丈夫だ と思いました

よかったらシェアしてね!

この記事を書いた人