一番多くあがなわれた人

ここ数日 連続して
マナー違反・ルール違反があり
毎日のように許します!と
叫んでいたのですが
今日になりひとつの動きがありました

折しも読んでいる聖書箇所が
詩篇の前半 偶像崇拝者に対して
怒ってくださいと叫び続けるところで

正しさや品格というものに対して
こだわりを捨てるのも違うし
どこに心をおけば良いものやら
と思いながら

神様にしか解決はない!と
とりなしの祈りを続けていました

起きていたことというのは
例えば新約聖書の中で
イエスさまが このような人は
神様の救いを受けられないという
例え話の出来事であったり

人に対して 表面的には
良い顔をしておきながら
心の中で侮るような出来事でした

しかし 許します!と叫び
その人の存在を感謝する祈りを
続けていると

どこに根本的な問題があり
どこに希望があるのかが
なんとなく見えてきました

これは 今回の件に限らないのですが

私が改善のために提案をすると
狭い範囲での思い込みや
古い考え方で それに対して
あれやこれやと多くの文句を
つけられてしまうことがあっても

実際にやってみると
一番感謝をしてくれるのが
一番文句を言っていた人なのです

何故なら 文句を言う人は
それだけ多くの心配を
抱えているからです

こちらは勿論 その
心配事を解決して余りあるだけの
メリットがあると踏んで
提案しているわけですから

あとは本人の勇気だけであり
実行すれば一番恩恵を受けるのは
一番心配をしている人なのです

しかし 本当のことを言えば
心配は罪です

心配をしている人がいると
そこにつけこんでくる
敵の攻撃が酷くあるので
適当な距離を置いている方が
無難と言えば無難ではあります

しかし それは私まで罪に
荷担する結果を招くことになりかねず
心の中で神様に叫んでいたのですが

しかし 別の側面でものを言うなら
心配する人がいるのがわかっていれば
絶対大丈夫 というレベルの
事柄だけを動かすことになるので
それはそれで良いことだし
賜物の違いだと思っています

が 心配から動かなくなったり
良いことを否定したり
悪い習慣が継承されていったり
という悪いパターンにはまりこんで
罪に死んでいくのは頂けませんし
それに巻き込まれるのはごめんです

結果 これは本当にまずい
という事柄については
本人を無視して強行突破を
してしまうことがあるのですが

そういう時に一番
感謝をしてくるのが 実は
文句を言っていた人なのです

周りの人は これをやれば
良くなるとわかっていて
やろうと言いますから
やった結果が良くなれば
当然のことだと受け止めます

その時に使う言葉は
良かったねーという
共感の言葉になります

しかし心配により
視野が狭くなっている人にとっては
心配から解放されて
全ての心配事がなくなるので
感謝をすることになるのです

なので 終わったあとに
ありがとう と言ってくれるのは
そういう人なのです

勿論 別に感謝の言葉を
貰うためにやっているわけでは
ありませんから その事で
どうこう思うことはありませんが

しかし その「ありがとう」を
聞くと イエスさまが
ツァラウトの人を10人癒した時に
イエスさまの元に帰って来て
お礼を言ったのが異邦人一人だけ
というお話を思い出します

とは言え本音言うと
心配を根拠にした行動は
本当に慎んでほしいと思います

安心して任せられる
神様を知り 委ねるように
なってくれると良いのにな

と 思います(そして祈ります)

よかったらシェアしてね!

この記事を書いた人