御国の文化を求める

イエスさまがエルサレムに入る時
イエスさまは ロバに乗っていきました

戦士が乗るような大きな馬ではなく
荷物を運ぶ子ロバでした

そしてそれは 旧約聖書に
預言された通りの出来事で
神様のご計画でした

考えてみればイエスさまが
お産まれになった場所も
馬小屋でした

後世に聖書を読む私たちは
このへりくだりこそが
御国の王様の素晴らしさだと
感謝をすることが出来ますが

しかし当時のイスラエルの人々が
求めていた王というのは
ダビデのように 戦に長けた
武力的な意味で強い王だった
と考えられています

ローマの圧政に苦しんでいた
当時のイスラエルの人々は
革命を起こさないイエスさまに対し

嫉妬から十字架につけろと
煽動する指導者たちに乗って
市民たちも十字架につけろと
叫び始めます

つい数日前 イエスさまを
讃えていた人たちが です

この箇所について 神様は
私にこのような切り口で
語りかけてくださいました

偉くもないものが偉ぶって
人の上に立ち続けようとすれば
緊張と重圧に苦しみます

それは 偉ぶって人の上に
立つことが この世の摂理に
反することだからです

この世界を創られた
真の王である神様は
恵み豊かで謙遜な方です

ですから そのように統治する王は
恵みに富み 人々がその統治を
喜んで感謝して支えるので
神がいるイスラエルでは
そういう王様は安泰でした

摂理に反したことをすれば
その報いが訪れる
力で支配をすれば
人々は不満を募らせますし
寝首をかかれることや
反乱を恐れなければ
いけなくなります

神様はまた このようにも
示してくださいました

真に偉いものは 偉ぶらずとも
人々が崇め高めます
真に豊かなものは
どんなものでも施せます

神は人をご自身に似せて作られた
それはご自身のように
人を成長させるためです

人が体験する統治の最初は
親による統治であると思います
何も出来ない状態で産み出され
生きるための全てを
親に与えられて
大きくなっていきます

尽くす親を見て育った人は
尽くす人となることでしょう

そういう人は幸いですし
幸いな人が引き立てられて
幸いが地に広がります
それこそがこの世の摂理です

より多くの事柄に尽くすことが
出来る人には より多くの
領域が任せられるでしょう

もし その様に育つ機会が
与えられなかった人であっても
神様は ご自身の子として
受け入れてくださり

そして私たちにご自身の
慈しみと恵みに富んだ姿を
現してくださいます

それにより 心の傷を癒し
幸いなものへと作り替える
それが 神様のあがないであり

そのあがないは 私たちが
その姿を模範として 同じように
恵みに富み 与えるものとなり
尽くす姿へと成長するためです

人は 見聞きするものに
影響を受けますし
口に出して言ったことにも
影響を受け 似ていきます

誰かを裁けば
自分自身がその
裁いたものに似ていきます

これは科学的にも言われていることで
人の脳は主語を理解しないので
口に出したり心の中で
思い巡らす批判的な言葉の影響を
自分自身が一番受けるからだそうです

嫌だ嫌だと思い巡らしていると
嫌なものに似てきてしまうのですから
心の中を何で満たすのかは
本当に大切なことですし
吟味し続けたいところです

もし神様がいなければ
或いは神様を知らなければ

人は自分勝手に 自分がなりたい
姿を自分の心の中心に置くことでしょう

それがもし 本当に
自分のなるべき姿として
相応しいものであるならいいのですが

無い物ねだりをしてしまえば
理想とギャップに苦しむことになり
本当の自分の反乱に苦しみます

本当の自分は いつも素直に
自分自身のままで成長したいと
願っているので

それを否定したり 歪めるような
理想像を掴んでしまうと
怪我をしたり 病気になったり
いつも大事なときに限って
失敗するといった
自分自身の反乱に
遭遇してしまうのです

神様が創られた自分自身を
否定すれば 落ちてしまうのです

自分自身の本来の命を
知ることはとても大切ですが
それを一番よくご存知なのは
創られた方です

本当の自分の姿をご存知の方は
より頼めば 本来の命に
水も栄養も注いでくださいます

神様の御手の中には欲や重責はなく
また誘惑の罠や悪意もなく
伸び伸びとした健やかな成長を
妨げるものはありません

敵の力により苦しみつつ
権力を得た者たちは
自分たちが蔑んできた
罪人たちが救われて
悔い改め 生き生きしているのを
見て妬みました

しかしパリサイ人の中にも
本来の命を得たことで
大きな影響力となった人もいます

新約聖書の多くを書いている
パウロがその人です

元々熱心に聖書の神を
求めていたパウロは
真の神と出会い 使命を知り
神様と共にその命を
駆け抜いていきました

真の神を知ることなく
クリスチャンを迫害し
神を愛しているのに
神の敵として生きる道から
救い上げられ 本来の命を
生き抜いたのです

実際 イスラエルの人が
福音を受け取りクリスチャンと
なったとき 彼らが受け取る
神様の知恵の深さはとてつもないと
イスラエルで働く牧師さんが
話しておられました

神様が用意されている
本来の命を この世で全うすることは
この地を創られた神様の御心です

そこには神様の御心があり
ご計画があり そのご計画は
平安のご計画です

多くの人が この世界の
歪んだ命ではなく
神様が創られたままの
本来の命を豊かに得て
喜び楽しむことが出来ますように

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