神様の報酬を喜ぶ

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悔い改める という
言葉だけを見ると恐らく
見る人それぞれに印象が
変わってしまうと思います

しかし 聖書の神様に対して
悔い改める というのは
方向転換をして神様に向き直る
ということを意味しています

例えば
悪いことをして
痛い目に遭うとします

その時に
もう痛い目に遭いたくないから
悪いことはしない というのは
悔い改めではありません

悪いことによって
周囲に迷惑をかけたり
傷付けたりしたことを責められ
もう人を傷つけるのは嫌だから
悪いことはしない というのも
悔い改めではないのです

人の世であれば 反省をして
もうやらないと誓えば
それで十分だと思われるでしょうし
それによりやり直す機会も
与えられるかもしれません

ですが それも人の自制によるもので
根本が変わったわけではないのです

枷を増やしただけなので
むしろ 罪に罪を重ねて
罪の奴隷となっている状態で
何かの拍子でその「我慢」が
崩されたときに より大きな
反動が襲って来るかもしれません

そもそもで 悔い改めというのは
神様に向き直ることなので
神様を知らなければ出来ません

聖書には 罪で死ぬのではなく
祝福の約束を受け取りなさい
そのために 法を守りなさい
この法を守ればあなたは栄える
と 書かれています

法を守れば栄えるが
法を破れば不幸になる
それが 地を創られた方が
定められたルールであり
秩序であるわけです

しかし法による縛りは
人を罪に定めるばかりで
人を救うことが出来ません

悪いことをしてしまった
それが悪いことだったと
知ってか知らずかはともかく
悪いことが起きて 痛い目に
遭ってしまった

その時に神様は

あなたのその罪に対する罰を
あなたに対してではなく
わたしのひとり子である
イエスに背負わせます

だからあなたは罪から離れて
健やかでいなさい
罪の結果起きた悪いことを
全て良いことに変えてあげるから
聖霊を受けなさい

聖霊は あなたに
何が罪で何が良いことかを
教えますから
その声に耳を傾けて
もう罪を犯さないようにしなさい

と仰有いました

そのように仰有った神様の方に
向き直ることが悔い改めなのです

神様に出逢うまでの間に
体験した様々な悪いことにより
本来の命から随分と
離れてしまっていました

傷付いたり 嫌な目に遭うことで
本来の命を損ねてしまいました

或いは同じ失敗を幾度となく
繰り返してしまうこともあった
心をかたくなにしてしまうこともあった

この状態が悪い状態であると
わかってはいても
でもどうすることも出来なかった

人の力では到底
やり直すことが出来ないことを
神様は やり直させてくださるのです

今日 ひとつとんでもなく
イラつくことがありました
ルールを守らない人のしわ寄せを
もろに食らったのです

頭の中では 何で
ルールを守らない人のツケを
私が払わなければならないのかと
物凄い怒りが沸きましたが

しかし 許します!と
心の中で叫んだときに
イライラはおさまりました

そして思うわけです

イエスさまは 全く罪を
犯さなかったのに死んでくださり
それは 自分を殴ったり
唾を吐きつけた人のため
でもあったわけです

私自身 イエスさまに
あがなってもらったのだから
私が人のルール違反を
背負うことで怒るとしたら
イエスさまのあがないを
否定することになるのです

そして 私がその仕打ちを
甘んじて受けることで
状況が変わるのであるなら
(実際 そのようにして今まで
良くなって来ているので)
それは 耐えたことに対する
神様のご褒美であり
その変革こそが私の報酬なのです

イエスさまは 死ぬ時に
これで私たちが救われる
私たちを得ることが出来ると
喜んでいてくださいました

同じように
不条理の向こう側にある
神様の用意されている報酬を
喜びたいと思います

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