過去からの解放

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制作をするときは流石に
仕事に集中しないとなのですが

新聞を取り分けるという
「単純作業」の時はいつも
心の中で賛美をしています
(人がいないと本当に歌っています)

今週は イレギュラーな仕事が
重なったため いつもに比べて
制作の時間が立て込んでいたのですが

夕方になり 新聞を取り分けるのを
忘れていたことに気付いて
取り分けはじめました

すると 神様が白いお花畑の中で
こどもの私を高く抱えあげて
くるくると回って遊んでくださっている
というビジョンが見えました

私はキャーキャー言いながら
遊んで貰っていることに
大喜びなのですが

実際の私の人生において
父親は 私を喜ばせるようには
遊んでくれない人だったので
(私が嫌がることをして
怒るのを見て楽しむ人だったので)

神様がただ お父さんとして
遊んでくださることが
とても嬉しい反面

この様なビジョンを見ると
こどもの頃にそんな風には
遊んで貰えなかった という
思いが出て来てしまいます

悲しいと思えることが大切で
泣くことが大切な時期もありました
悲しかったと思えることも
重要な過程だったからです

しかし今日は
もう過去のことは忘れなさい
という神様の言葉があり

本当にその通りですね と
受け入れることが出来ました

こんなにも恵み豊かに
遊んでくれるパパがいるのだから
過去に捕らわれて悲しむのは
勿体ないと本当に思いました

パパがいることに心から感謝をして
もっともっと喜びたいと思いました

一緒に遊ぶ 一緒に楽しむ
また食事をする時に 神様は
私が神様に頼るばかりではなく
自分でどうしたいかを
考えるように促されることも
よくあります

どうすればいいですか?と尋ねると
今日はあなたが決めなさいと
促されることがあります

そのように聞かれて
迷ってしまう時に
たまに 間違えたものを
掴んでしまうことがあり

それを見極めて断ち切ることが
最近の課題だったのですが

見極める目を頂いてからは
良し悪しの根拠がはっきり
わかるようになったので
本当に良かったなと思います

今日 休みだったりゅうくんと
外で食事と買い物を済ませて
家に帰り 寝てしまったのですが

寝て起きると
クリスチャンになってから
今までに起きた出来事にも
神様の視点が与えられました

人の思いと神様の示しの
板挟みになってしまった時期に
どんなことが起きていたのか
神様がどのような思いで
それをなされていたのかを
はっきり知ることが出来ました

正確に言うと 実はそれは
当時にも思いとして
与えられていたのですが

渦中にいる時には
なんとか自分の思いを横に置いて
神様の思いに生きようと
頑張ってしまっているので
自分の思いが置いてきぼりに
なってしまっていたり

神様の思いなのか
自分の思いなのか
わからなくなってしまうのです

ですが今日 その区別が
はっきりと与えられたのです

その事がきっかけとなり

人の余計な教えにより
本来感じるべき感情を
歪められていた
過去の出来事に気付きました

自分の思い 神様の思い
それに人の思いがそれぞれ
整理整頓されて理解出来て

こんがらがっていた思いから
解放されました

知らず知らずのうちに
私を縛っていた人の教えや哲学
というものが一体何だったのか

それがいつ侵入してきたのか
はっきりと見極めることが出来ました

本当に今 とても大きな
解放を頂いていると感じます

本来のあるべき姿を
掴むことが出来ることは
何にも替えがたいことです

本当に心から感謝します\(^o^)/✨

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