神様の友として祈る

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クリスチャンになる前に
ある女性のことを
祈っていたことがありました

この話は過去に書いたと思いますが
とても面倒見も良く
明るく頑張っているのに
いつも疲れたような
顔をしている人だったので
無理をしないように
元気になるようにと
祈っていたのです

ところが ある日その人から
呼び出され とんでもない
言いがかりをつけられました

苦労なんてしたことないんだろう
みたいなひねくれた罵声を
浴びせられ続ける中で
この人 自分のことを愛せないんだな
ということに気付きました

それを伝えると 幼い頃に
性的虐待を受けていたことや
それに対して母や姉からも
お前が誘ったんだろうと
言われて 家を飛び出して
今があると打ち明けられました

この人は普段自分を罵倒するように
私に当たり散らしてるんだなと
わかりましたが

結婚が決まっているのだけど
自分なんかが結婚して
幸せになっていいはずがない
と思い込んでいるのに

その男性の姓が当時の私の姓と一緒で
私が幸せそうだから という
不条理極まりない理由から
私に攻撃をしてきたのです

結論から言うなら
何を言われても
きちんと幸せになりなさい
とだけ言い続けてるうちに
相手が解放されたのか泣き出して
後で物凄い謝罪をされましたが
その後2年ぐらいは
人と会う気になれませんでした

どんなに謝罪されても
許すの許さないのいう話ではなく
もうあなたと顔を会わせる気に
なりません という感じでした
それぐらい酷い言葉を
投げられ続けたのです

聞いている時は
この人は普段こんな風に
自分を責めてるから
いつも疲れた顔をしてたんだなー
と思っていましたが

言葉の暴力のダメージは
こちらの捉え方云々で
ガード出来るようなものでは
なかったわけです

幸せを祈ったのは確かだけど
これは酷いです こういうのは
もう二度と勘弁してください
と祈りました

しかしこれは聖書の神様ではなく
偶像の神を信じていた時の話です

クリスチャンになってから
この時のことを振り返り
敵は本当に 人生を
破壊するようなことしかしないな

という風にこの出来事を
捉えていました

クリスチャンになってからも
人の幸せを祈るときに
自分自身がその重荷を
霊的に背負うことを
何度も体験していますが

しかし 敵がやるのと全く違うのは
そこには神様の励ましがあり
神様が共に背負って
くださっていることを感じます

敵は 関係を破壊しますが
神様は決してそのようにはしません

最終的には全ての重荷も
痛みも神様が持っていって
くださいますから
私はほんの少しだけを
一時的に背負うだけです

しかもその時に 神様から
友のために死ぬ以上の愛はない
ということを示されて
私はこれを背負うことで
本当の友達として認められるのかー
という喜びすら与えられます

そしてふと 冒頭の話を
思い出したのです

私はその人を解放するだけ
解放して しかしもう
二度と会いたくないと思い
謝罪されても心の刺が
抜けることはありませんでした

敵にしてみたらもしかしたら
関係性を壊すことだけを
やらせるつもりだったのに
余計なことをして と
私を邪魔に思ったかもしれません

しかし私はあの時
真の神様の目には
その人の真の友達だった

そのような思いが与えられました

とても感謝出来ないような
過去の出来事に 感謝をしたい
気持ちが与えられて
友としてやるべきことを
やりきれたことに感謝をしました

昔は 人の痛みを背負ったって
その人が楽になる訳じゃないのに
と 思っていましたが

今はそうではなく 自分が
背負って祈ったからには
必ず神様がその人に何百倍もの
奇跡を起こしてくださるという
確信が与えられます

これを 預言的に言うと
知識の言葉 と言います

預言の賜物がある人は
神様が癒したい人の痛みを
霊的に体験させてくださることが
あるのです

その痛みのために祈ると
自分の痛みも その人の痛みも
両方癒されるのです

知らない人のためにも
痛みを背負うことはありますが
しかし 神様がその人を
愛しておられます

神様が愛しておられる人のために
祈るときに 神様は
私のことを友だと
言ってくださるのです

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