神様だけに頼る

歴代誌を読み進めています
前半は 史実が並ぶので
読むのがとても大変だったのですが

後半になるにつれて 列王記に
概要だけ書かれていたことについて
神様の目線に立って詳細に
書かれている箇所がいくつもあり

そしてそれが自分にとっての
今の課題であり また恐らく
地にある間 永遠に続く
課題であると感じました

かなり前になりますが
この日記だったかfacebookの
記事の中で

神様から思いが与えられたり
教会の人たちから依頼されても
それは神様のことだからと思って
行動をしてしまうと
霊的な邪魔が物凄い入るが

しかし それを一旦神様に委ねて
神様の仕事としてください
あなたから私にやれと言ってください
と祈り やりなさいという
「お墨付き」を頂いてから動くと

その責任は神様のものとなり
霊的な守りに入ることが出来て
邪魔から守られる ということを
書いたことがあります

列王記でも ダビデやソロモンが
神様の御声を求めずに
霊的に良いと思ったことから
敵の策略が侵入してくる様を見ましたが
その事についての詳細は
聖書からは読み取れませんでした

神様は この人と選ばれた人については
罪に対して目をつぶると
されているところがあるためだろうと
思いますが 聖書には明確に
これとは書いていません

ダビデの罪について書けば
わかりやすいと思うのですが

部下ウリヤの妻を寝取り
部下を死なせたことについては
後々まで悪とされています
この事の他には神の目に
悪いことを行わなかったとさえ
書かれているのです

しかし実際にはダビデは
もうひとつ大きな失敗を犯しています

サタンに誘惑され人口調査をして
疫病で7万人もの死者が出たのです

ウリヤの件は 神様に指摘されて
ダビデが悔い改めると
生まれる子どもは必ず死ぬが
あなたは許されると神様は言いました

悔い改めて断食して
許しを請いましたが
子どもは死んでしまいました

人口調査の時は 神様から
3つの裁きを示されて
好きなものを選べと言われます

人の手にかかるのは嫌だ
神の手にかかろう と
ダビデは疫病を選びますが
国民だけが打たれて
ダビデやダビデの家系のものは
疫病になりませんでした

それを見てダビデは
子どもの時と同じようにひれ伏し
罪を犯したのは私であり
羊たちは関係ありませんから
どうか私を打ってくださいと
請い 疫病をもたらす御使いが
いた場所に祭壇を築きます

神様自身も 憐れに思い
裁きをもたらす御使いに
もうそこまでで良いと止めた
ということが書かれています

そしてそれ以降 人口調査という
悪事については触れられていません
神様はなかったことと
してくださっているのです

ダビデの最後の時に
ウリヤの件を除いては
悪を行わなかったと書かれ
それについては神様は
子どもは死んだものの
その後にも悪だったとされましたが

人口調査をした悪については
なかったことにしてくださっています

実際これは 神様のご性質です

過去の罪は 悔い改めるなら
忘れるとしてくださり
その先 悪いことをしないようにも
守ってくださるのです

神様はソロモンの偶像崇拝について
ダビデの故にあなたを裁かないが
子孫にその裁きが振りかけると言い

実際 ソロモンがやったことの
どの部分がどのように罪であったか
というのはあまり詳細には
書かれていません

それは 神様がダビデに結んだ
ソロモンをわたしの息子として
教え育てるという約束の故だと思います

神様は ソロモンについて大変
心を痛めたことだろうと思いますが
しかし ご自身の約束の故に
神様は 忍耐されたのだろうと思います

列王記を読んでいると
神様に心を向けて正しく歩んだ人
神様に心を向けていたのに
息子が悪に走った人
悪を行ったがそれほどでもなかった人
過去に見ない程の悪を行った人など
良いにしろ悪いにしろ程度が
あったことがわかりますが

しかし具体的にどういうことかは
列王記ではよくわからず
偶像崇拝をしたかどうかが
問題なんだということだけが
漠然と感じられました

しかし歴代誌に入ると
偶像崇拝を行う人と
同盟を組んだことや
他国の王を頼ったことや
医者を頼ったことなど

神様以外を頼ったことについて
全て罪とされていることが
書かれています

偶像崇拝だけではなく
神様を頼らない全てが罪であること
また 神様を頼りとしない人と
手を組むことも悪であることが
はっきりと書かれているのです

病について神様に尋ねて
医者にかかりなさいと示されたら
医者にかかることは良いことですが
医者を頼って医者にかかるのは
神様の目に悪いことなのです

頼る思い

心が大切なのだということが
改めてわかりましたし

神様を頼りにしていて
国民に神の教えを広めたりと
良いことをしたとされる
王ですら 間違えを犯した
ということに驚くと同時に

本当に 気を付けなければ
いけないんだな と感じました

今日のQT箇所は イエスさまが
パリサイ人やサドカイ人の教えに
気を付けなさい というところで
彼等は正に 聖書を用いながら
自分達の教えを教えた人たちでした

サタンですら聖書のみことばで
人を騙そうとするのです

しかし 聖書の教えに反すると
思えるような事柄でも
神様を頼りにした時に
導かれ与えられるものは
全て良いものであるのですが
目に見えるものを偶像に
してはいけないのです

モーセが作った青銅の蛇も
イスラエル人は偶像にしました

そうであってはいけないのですが
本当に これは気を付けるべきことで
朝に夕に 深く神様に
祈り求め続けない限り
難しいことであると感じました

人のことを祈るのも大切ですが
自分のことを祈るのも
本当に大切だと感じます

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