わからないことは神様に委ねる

相変わらず旧約聖書を読み進めているのですが
少し疑問に思うところが出てきたので調べると
その出来後の400年近く?後に書かれた預言書に
その出来事についての神様のみことばが
あることを知りました

出来事が起きている最中には
どういうことを意味するのか分からなくても
後世の人に その解き証しがされているのです

本来 何も持たず力もないはずの
敵がどのようにして人にある恵みを
盗むのかについて書かれていました

物凄く平たく言うならば
エヴァを騙した時と変わらず
人を騙すことによるわけですが

まず 解き明かしについて先に言うと

引用はしませんが エゼキエル書28章12-19節
ツロの王について哀歌を唱えて、彼に言え
という書き出しから始まるところです

ツロの王=人のことのように書かれていますが
読んでいくと 不正の商売によりその身を落とした
サタンのことであると読み取れます

ツロの王というのは第一列王記5章に出てきますが
ソロモンが神殿を建てる際に協力した
ツロの王ヒラムのことです

第一列王記7章においてツロの王ヒラムは
神殿の中に牛の像を作っています

聖書を知っているなら牛の像と言えば
それが神様が大変忌み嫌う偶像であると
わかると思いますが それが
神殿内に作られていたわけです

第一列王記9章においてソロモンは
ツロの王ヒラムに神殿建築のお礼として
ガリラヤの地の20の町を送るのですが
ヒラムはその町が気に入らなかったと書かれています

その 気に入らなかったガリラヤから
イエスさまが出ることになるわけです

これを知って 敵に役立たずと言われることは
何という幸いであるかと思いました

最初に引用した 解き証しの部分である
エゼキエル書を読んだときに
不正の商売により利益を出す人には
注意しなければいけないな ということを
物凄く感じたわけですが

列王記において神殿建築後のソロモンは
偶像崇拝をする妻たちにより
偶像崇拝をするようになったと書かれており

原因は妻にあったと思っていたわけですが
そもそもで 神殿建築の際に
偶像が作られていたわけです

念のために言うと 偶像崇拝者の
全てが知恵知識を持って悪事に
加担しているとは思っていません

多くの人はそれが悪いことだと知らずに
また どうしてそれが悪いのかを知らずに
いるわけですから 霊の目が開かれ
真の神を知る機会が与えられるよう祈ります

ですが 偶像崇拝云々は抜きにして
不正により得た富の恩恵に
預かりたいと思うのであれば
それは神を敵に回すことになる
というのは良識がある人ならわかると思います

クリスチャンになる前から
「不正の富に関わらない」ことについては
物凄く意識しており 知らず知らずのうちにでも
悪に加担することがないようにという
意識はずっと持っていたので
エゼキエル書のみ言葉については
読んだときにすぐに気を付けようと思ったのですが

彼らの手口というのは
こっそり わからないように
偶像の影響を置いていくことで
本当に気を付けて 自分の人生から
それを取り除かないといけないなと思いました

では不正の富とは何か という話になるわけですが
それについては明確にこうだと言えるだけの
知恵知識はないので明言は避けます

というより それについての学びが
今の自分にとっての課題かもしれませんが

少し前に このサービスは使ってはいけないとか
ここからお金を受け取ってはいけないとか
このビジネスには関わってはいけないとかいうことが
神様からいくつか示されていたことは
日記に何度か書いています

そこにはひとつの共通していた手口があり
これだけ恩を受けているのだから
(申し訳ないから)お金を使おう であるとか
何か労働力を提供しようであるとか
悪く言うと「恩で縛る」ような仕組みのことです

実は クリスチャンになってから
誰かから何かを頂いた時に
お礼をしようとすると 神様から
絶対にそれをしてはいけないと
ストップさせられることが殆どでした

人に何かを差し上げた時に
お礼を受け取ってはいけないと
示されることについては
その背後の霊的なものに問題があることが
はっきり見えていたのですが

自分が人にお礼をしようとする時に
ストップさせられるということは
自分ないし相手の背景に何か
霊的な問題があることを意味します

いつもお世話になっている人に
喜んで何かを差し上げたいと思いする時には
止められるどころか喜んで助けて貰えたので

「申し訳ないから」という思いが
良くないのだろうと思っています

しかし 場合によっては
喜んで何かをしようとしても
止められてしまうことがあり

そういう場合はこちらにではなく
相手側の背景に 何か良からぬものが
存在しているのかもしれません

いずれにせよ私自身が結構
義理堅いタイプなので 恩義で動くことを
止められることについて
最初は物凄い 恩知らずなことを
やっているのではないかという
罪悪感に悩まされましたが
その罪悪感こそが敵の嘘ですし

お礼もしないで ともし言う人がいるなら
その人はこの世に生きている人であり
御国の文化に生きていない人であるので
その人の解放のために祈ります

今はかなり改善されたと思いますが
それでもたまに 恩義を返したいと
思う時に神様がストップをかけることがあるので
自分の内からこの件について
霊的見分けが出来きれていないことについて
注意しなければいけないなと感じています

と言っても 自分ではわからないわけですから
神様に100%より頼むしかないと思いますが

自分の力に頼ることなく
神様の力だけに頼ることが出来るのは
それ自体が本当にみ恵みです

というより この件については
自分に出来ると思った途端に
罠にはまるような気がしてなりません

自分に賜物が与えられていないのであれば
そこについてよき管理者にはなれませんから
神様が行けとでも言わない限りは
関わらない方向で考えていますが

クリスチャンになる時に
蛇のように聡く 鳩のように素直に
というみことばを頂いたので
神様がそれについての思いを
与えてくださるなら真摯に向き合おうと思います

いずれにせよ神様の守り 平安の中から
決して出ることがないように

不正の富というのが何を指すのかはともかく
決して関わることがないようにと祈ります

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