新しい世代

過去の失敗や負債が呪いとなる
という考え方は 敵からのものです

全ての呪いから解放するために
イエスさまは私たちの身代わりに
なってくれたからです

自分が撒いたものの刈り取りは
しなくてはいけませんが
向き合って誠実に対処する時に
神様の御恵みが流れるのです

ひとつの問題がありました
私はそれを きちんと片付けないと
先々自分達の足を引っ張るものと
なるんじゃないかと思いました

しかし神様は りゅうくんを通して
その発想は敵からのものだから
それに捕らわれてはいけないと
教えてくださいました

私はその問題を片付けるために
今やるべきことを犠牲に
することを考えていたので
それは間違えた発想なんだと
悔い改めようとしました

しかし この考え方は
私自身の一番の弱味だったらしく

起きている状況は素晴らしいのに
私自身がする全てがぐだぐだで
神様私の心を救ってくださいーと
心の中でずっと泣いているような
時間を暫く過ごしました

しかし途中で マイナスを全て
プラスにしてくださる神様に
信頼します!と宣言し始めると
平安の中に留まれるように
なってきました

ところが 平安の中に入ると
今の御恵みのあまりにもの
大きさの前に

自分が感じたくなかった
向き合いたくなかった感情に
心を開かなくてはいけないことに
気が付きました

先日から 神様に示されて
何度か断片的に感じていた

私でなければ流れない愛がある
ということです

私は それが流れ始めたら
進んでしまうものがあることを
知っていました

変わらなくてはいけない
その事を知っていました

認めたくないものと
向き合わなければいけなくなる

それが 私の恐れだったのです
しかしその感覚はある意味
間違えていなかったと思います

何故なら昔の私は
神様を知らなかったからです

神様を知らない時に
それを認めることは
私には絶対に不可能だった
理由があったのです

自分の中に 憎しみがあったら
人を愛そうとするときに
憎しみも一緒に流してしまいます

自分の中に 腐敗したものがあったら
人を愛そうとするときに
その腐敗も一緒に流してしまう

私はそれが嫌だったのです
その独り善がりのような愛が
流れるのが許せなかった

ですが神様を知った今
私の思いに応えて神様が
神様の愛を流してくださいます

そして その愛は私でなければ
流せないものであり

命であり 癒しであり
全ての解決なのです

私がするのではなく
神様がなさるのです

りゅうくんが今日受け取った
神様からの物語は
聖書を読んでいて感じたことが
そのままに書かれていました

モーセたちは 確かに
神様に対する反抗のゆえに
約束の地を踏むことはなかったが
しかし 次の世代を産み育て
入り口まで導いたのは
モーセの世代でした

モーセは足では
踏み入れませんでしたが
山の上から約束の全ての地を
神様により見せてもらい
その山で亡くなりました

先日の預言セミナーも
テーマが一緒だった
バプテスマのヨハネは
自分は小さくなり
イエスさまが大きくならなければ
いけないのだと言いましたが

自分が捕らわれの身になった時
イエスさまに あなたが
その人なのですか?と
問い 確証を得ました

今 新しい世代の時が
始まろうとしていることを感じます

神様が 私たちの世代を通して
なさろうとしているすべてに
期待をします❤️

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