良いものを選べるように祈る

神様を知ることというのは
良い選択肢が与えられること
実りある可能性を与えられる
ことなんだな とふと思いました

もし 自己満足を求めて生きるなら
思い通りにいかないことや
自分の満足を損ねる事柄に
不満を感じてばかりいる
人生になることでしょう

ですが 神様の目に高く見て頂けて
それにより 自己満足を遥かに
超えた満たしを注がれることを知れば

自分自身が満足することより
神様の目に高く見て頂けることを
選ぶという選択肢が増えるのです

しかし 選択肢が2つあれば
より良い方を選ぶのは当然だ
とは言い切れません

良い方を選ぶには
平安に留まる必要があります

また 一度確信を持ったことでも
自分が弱くなる時に
不安を感じることもあります

今日のQT箇所は
そんなシーンを描くものでした

バプテスマのヨハネは
荒野に居たときは
イエスさまをその人だと認めたのに
投獄されると 弟子を遣わし
あなたがその人なのですかと
尋ねています

誰に言われることなく
確信を持って人々に宣言したのに
自分が弱くなった時
確証を求めたのです

その確信により得る平安というのは

イエスさまが ご自身の打ち傷
ご自身の身に起きることを
ご覧になり満足した
という預言書にあるような
神様の約束に対する平安なのだと
QTを通して教えてくださいました

ヨハネは 荒野で
これから自分は小さくなる
この方が大きくならなければいけない
とも語っていました

その預言が今間違えなく
成就しているのだと確信を得て
ヨハネは安心したのです

今日は イスラエルにとって
特別な日であるそうです

ティシュ・ベアブ(Tisha B’Av)
アブ(Av)の月の9日目という
意味ですが イスラエルで
一番悲しい日なのだそうです

第一神殿が崩壊したのも
第二神殿が崩壊したのも
また ローマに敗北したのも
十字軍による侵略も
イギリスやスペインから
国外追放をされたのも
ホロコーストが始まったのも
全て この日なのだそうです

その起源は 民数記14章にある
約束の地を目前にした人々が
神様のあがないに不平不満を言い
約束の地を悪く言ったことに
始まっているのだそうです

長いので全ては引用しませんが
この中で神様はこのように仰られました

民数記14章11節
主はモーセに仰せられた。
「この民はいつまでわたしを侮るのか。
わたしがこの民の間で行なった
すべてのしるしにもかかわらず、
いつまでわたしを信じないのか。

神様は その大いなる御力と御恵み
そして愛と憐れみの心を持って
人々にたくさんのしるしを
見せてくださいます

神様がこのようにすると
仰られ 人がそれを信じたことは
全てが為されました

にも関わらず 神様の約束を
信じない人に対して神様は
本当に 憤慨されたのです

この後 神様は信じる人だけ残し
信じなかったものは皆殺しにすると
宣言されますが モーセが
必死にとりなし その御怒りは
神様を信じなかった上に
その事を言い触らして人々に
悪い影響を与えたものに
下されました

その日が アブの月9日だったのです

神様は ご自身を信じて
ご自身だけに頼る人を助けます

ですが
わたしはあなたを助けると
神様が言ってくださっているのに
それを信じずに嘆く人や

神様以外の神や占いや
人の力 お金の力 兵力など
神様以外を頼る人に対して
神様は 御怒りを持って報復されます

それほどまでに私たちを
愛しておられるのです

神様が 私たちを創られました
人を良いもので満たそうと
様々な御恵みを注ぎ
心をご覧になり 私たちの
思いを遥かに超えた良いもので
私たちを満たそうとしてくださいます

それなのに 人を傷付け
滅びに至るものへと傾倒すれば
愛ある方であるからこそ
その御怒りも大きくなるのです

ご自身のことを 妬む神だと
神様は仰いました

自分達が 悪いものに気を取られ
神様の御恵みから目を反らして
しまわないようにすることは勿論

イスラエルの人々が
約束の御恵みをきちんと
掴むことが出来るように

恐れや弱さに負けてしまわず
神様の約束を掴むことが
出来るように祈ります

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