神様の視点を受け入れる

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昨日 妙な思考の癖があることに気が付きました

神様がこうだよーと仰ることに対して
完全にコミット出来ない時に
素直に「お願い」をすればいいのに
コミット出来ない自分を責めてしまう
ということに気が付きました

昨日はスマホを持ち忘れたため
会社帰りに見せて頂いた雲の様子が
写真に撮ることが出来ませんでした

雲の向こうに太陽があり
太陽の形がはっきりと見えていました

そして その上に何本かの
とっても長い天使の架け橋があり
数分後に 雲は全て消え去りました

あなただけに見せるもの
と 仰ってくださったのですが
写真を撮れなくて残念だったこと
素晴らしい風景を誰とも
共有出来ないことが寂しく感じてしまい

神様は私だけに見せたかったと
仰ってくださっているのに
それを喜べないことで
自分を責める思いが湧いてきました

ですが 最終的には
神様は ほんの少しだけですが
長い天使の架け橋の片鱗だけ
見せてくださったのです

あなただけ特別だよー
というのは 昔から苦手でした
しかし苦手になった一番の理由は
嫉妬などにより傷付けられたためです

傷をきちんと自覚して 神様に
傷を癒してください!解放してください!と
祈らないとなんだなーと感じました

実は今日は 他にも色々と
聖書を読んでいて 自分の罪に
物凄く凹むということがありましたが

それに対して神様は
神様がその時の私をどのように
ご覧になっていたのかを
教えてくださいました

今回に限らず 今までも何度も
過去の罪について 神様はいつも
新しい視点を与えてくださるのですが

イエスさまは 人が道で倒れているのを見た時
自分が汚れて罪を犯すことを恐れて
避けて通った人ではなく
自分が汚れてでも人を助けた人を
隣人であると仰いました

以前 霊の見分けのセミナーの時に
宗教の霊にとりつかれた人に対して
汚い言葉を浴びせたら解放された
というお話がありました

神様は 時にそのようにして
安全領域を超えることを
示されることがあります

律法は 神様と顔を合わせることを
拒んだ人たちに与えられたものであり
律法が本質なのではなく
神様の仰ることに背くことが罪です

神様が 律法でこれをやると
汚れると書いてあるけれども
これをやってくれるか と示されたとき
汚れることを引き受けることで
神様が助けたい人を助けることになります

しかし 神様が言ったことをやるのだから
汚れないということではなく
汚れることを引き受けてくれないかと
神様は仰るのです

勿論 汚れるとは言っても
神様がやってくれと言われたことにより
いつまでも汚れっぱなしでいることはありません

後に引き上げられ 汚れは洗われます

イエスさまは 全人類の汚れを背負い
十字架にかけられた時 確かに
罪人であり 汚れているために
神様と顔を合わせることが出来ませんでした

ですがイエスさまは引き上げられ
神様の右の座におられるのです

ともあれ神様は 時に 汚れるようなことを
やってくれないか と仰います

私の代わりにやってくれないか なのです

その時に 自分の内に傷があると
それを引き受けることが出来る範囲が
凄く狭くなってしまうよなぁと感じています

自分の傷が癒されることは
聖書にある通り しみも傷もない者へと
建て上げられていく過程ではありますが

それにより 神様の愛を現す人としても
地境が広げられるのだろうと思います

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