預言による建て上げ

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今日は預言のセミナーがありました

今回の内容は ある程度
預言について勉強している
人を対象にしており
教会を建て上げる預言的働きの
お話が中心だったので
詳細は書きませんが

そもそも預言というのは
どういうものであるかについて
創世記1章の引用が
とても印象的でした

創世記1章3節に 神様が
光よあれ と言うと光があった

というところはとても有名なのですが
預言的働きというのはその直前
1章2節に現れているのです

創世記1章1-2節
初めに、神が天と地を創造した。
地は形がなく、何もなかった。
やみが大水の上にあり、
神の霊が水の上を動いていた。

最後の部分の「水の上を動いていた」
という部分は 原語を見ると
身籠っていたという意味が
あるのだそうです

そして この「神の霊」というのは
聖霊さまのことだと思います

次の章で 神様が「光よあれ」と
仰有るのを待っている状態です

神の霊は 神様が創ろうとしている
「光」というもののイメージを
預言的に受け取って=身籠って
神様が言葉を発するのを
待っている状態なのです

そして 光よあれ という
言葉(=イエスさまの言葉)が
発せられるのを受けて
身籠っていた「光」を
産み出したのです

この預言的働きというのは
エゼキエル書で 神様が
骨に対して預言するようにと
エゼキエルに仰るところでも
読み取ることが出来ます

エゼキエル書37章3-6節
主は私に仰せられた。「人の子よ。
これらの骨は生き返ることができようか。」
私は答えた。「神、主よ。
あなたがご存じです。」

主は私に仰せられた。
「これらの骨に預言して言え。
干からびた骨よ。主のことばを聞け。
神である主はこれらの骨にこう仰せられる。
見よ。わたしがおまえたちの中に息を
吹き入れるので、おまえたちは生き返る。

わたしがおまえたちに筋をつけ、
肉を生じさせ、皮膚でおおい、
おまえたちの中に息を与え、
おまえたちが生き返るとき、
おまえたちはわたしが
主であることを知ろう。」

神様がエゼキエルに
まず預言を与えられます

その預言を聞いたとき
エゼキエルの頭の中には
骨に筋が付き 肉が付き
神様が息を与えると生き返る
というイメージが出来ます

そしてそのイメージを掴みます
それが 預言を身籠っている状態です

(蛇足ですが ここで
またまた神様それは無理でしょ
とか言っちゃうとこの預言は
死んでしまいますし
示されたタイミングで言わないと
やはり預言は死んでしまいます)

そしてこの時は 預言の言葉と同時に
今すぐ言うようにという
指示も含まれていますから
エゼキエルは すぐに
神様がくださった言葉を
そのまま声に出して宣言します

エゼキエル書37章7-8節
私は、命じられたように預言した。
私が預言していると、音がした。
なんと、大きなとどろき。
すると、骨と骨とが互いにつながった。

私が見ていると、なんと、その上に筋がつき、
肉が生じ、皮膚がその上をすっかりおおった。
しかし、その中に息はなかった。

神様は ビジョンとして
息が吹き込まれて生き返るところまで
見せてくださいましたが
最初の言葉では息は
吹き込まれませんでした

すると 神様が次の言葉をくださいます

エゼキエル37章9節
そのとき、主は仰せられた。
「息に預言せよ。人の子よ。
預言してその息に言え。
神である主はこう仰せられる。
息よ。四方から吹いて来い。
この殺された者たちに吹きつけて、
彼らを生き返らせよ。」

骨に対する預言だけでは
完成ではなく 息に対しても
預言をする必要があったのです

エゼキエルがその預言を
宣言すると 骨だったものは
命を受け生き返るのです

預言というのはこのように
ビジョンを与えられたら
それが為されるというものではなく
神様がその預言に対して
言葉をくださり それを
宣言する時に命を産み出します

私たちが求めているのは
その命なのです
命がなければこの世は砂漠であり
命の水なしに地を生きることは
大変虚しく 苦しいことです

また 預言というイメージだけが
与えられて 言葉が与えられなかったり
言葉が与えられても信じて宣言せずに
産み出されることがなかったら
それもまた大変苦しいです

細かいことは色々ありますが
預言により希望が与えられて
信じて掴み宣言することにより
神様のみわざが実際に地に現れる

例えば 地球にまだ雨が
降ったことがない時代に
ノアが 神様から大雨に備えて
船を造りなさいという預言を受け
100年近くかけてコツコツと粛々と
造り続けてくれたから

人類は滅びることを免れ
神様は ノアの信仰を見て
もう二度と全地を覆うような洪水で
全ての人を滅ぼすことはしないと
誓ってくださったのです

預言を受け取った者には
それを信じて宣言をする
責任があります

預言が死んでしまえば
神様の御心が地に現れないのです

しかし(自分も含めてですが)
預言を受け取った時に
預言の実現を自分の力でやろうとして
動いてしまうことがあります

自分のことで言うなら
(日記に書いていますが)
ポストカードを作った時に
それをどのように販売していくか
戦略を神様に求める前に

自分の勝手な思いで
ぱっと渡せるチラシがあると
便利だからそれを作って
書店などに置いてもらおう
と 思いチラシを作りました

実はそのチラシを作る根拠は
自分の中で ちょっとした
不安や気遣いも含まれており

神様は 作りたいという私の
思いについては汲み取ってくださり
作っていいと言ってくださいました

しかし そのチラシは
神様の戦略には
含まれていなかったのです

その後 神様から示された
販売戦略の方法に どうやっても
チラシの入る隙がありませんでした

このチラシはもしかして
私が勝手にしてしまっただけで
不要なのでしょうか?と尋ねると
不要だと教えてくださいました

私は 不安や気遣いを
産み出してしまったのです
不安や気遣いは敵の霊なので
神様の預言を壊すものを
作ってしまったのです

実際 神様から頂いた戦略を
中心に考えると
チラシは不要であるどころか
邪魔になるとわかりました

神様は 私の中から
不安や気遣いを出すために
作っていいとは言ってくださいました
しかしそれを私は預言的行動として
自らの意思で捨てました

そして マイナスをプラスに
出来る神様 どうかこの事を
プラスにしてください!と祈りました

すると 不安や気遣いは
すっかりなくなって
とてもすっきりしました

チラシを作って捨てるという
無駄に見える行動をやったことで
不安や気遣いを持ったままに
進まずに済んだので感謝しました

勿論 不安や気遣いを
持たないことの方が重要ですし
お金と労力をかけずにその
不安や気遣いを捨てられていたら
もっとよかったとは思いますから

次回からはそのように出来るよう
このような無駄はもうやらないように
とも祈ることができました

お陰で 先日また自分の不安から
余計なものをお金をかけて
作ろうとしたときに 今回は
きちんと神様がストップを
かけてくださいました

材料を買いに行った先で
雨に降られてしまい
濡れて自宅に戻ったら
自宅周りには なんと
雨が降っていなかったのです

余計なことをせずに
家に帰っていれば
濡れずに済んだのか!と
本当に悔い改める思いでしたが

チラシの時と違い
やってしまう前にこのように
止めていただけだことに
心から感謝しました

何が言いたいのかというと

私自身の弱いところというのは
実は何も変わっておらず
ただ 祈りと神様の守りにより
状況が変わっているだけなのです

自分の弱さに神様の栄光を
現して頂けるということは
本当に 素晴らしい恵みです

自分で自分を律しようとすると
律法で失敗したイスラエルの
祭司たちのようになり
宗教のようになってしまいます

(実際 ~~してはいけない
という抑圧に縛られた人というのは
宗教の霊にとりつかれているそうです)

しかし神様との関係というのは
宗教ではありませんし
宗教の即束縛からも自由に
してくださるのが真の神様です

私は弱い私のままいて良いのです
しかし 弱さにより破壊を
地にもたらしてしまわないように
神様に守っていただく必要があるのです

不安や気遣いにより
余計なことをやらなくなれば
その時間を全て 産み出すこと
有意義なことに出来るのです

そのように建て上げて頂けることに
本当に 心から感謝します❤️

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