賜物の訓練

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最近ずっと同じテーマ
しるしや奇跡を求めることよりも
神の国とその義を第一にすることの方が
大切だということを
何度も語りかけられていますが

その理由がやっとわかりました

私は以前 例え動機が間違えていても
実行して結果を出す人の方が
偉いと思っていました

例えば伝道するにしても
癒しのために祈るにしても
それが虚栄心や自己満足の
為であったとしても
何もしない人より良いと
思っていたのです

そんな事を思っていたことすら
すっかり忘れていましたが
何度も何度も繰り返されるのは
何故だろう と思い巡らしてみたら
神様は その思い違いを
正そうとしてくださっているんだと
気が付きました

というのも クリスチャンになってから
神様から この人から離れなさいと
示された人の特徴というのが
そのような人たちばかりだったのです

私は 例え動機が悪くても
きちんと行動して結果を
出せているのなら良いと
思ってしまっていました

良いと思っていたので
見習うべき点はあるだろうと
思いながら話を聞いていました

しかしそれは 神様から見て
良いことではなかったのです

何故なら背後の霊が違うからです

良いことだと思いながら(肯定しながら)
聞いてしまえば 影響を受けてしまいますし
相手と背後の霊の関係も強めてしまいます
だから神様は 私をそこから切り離したかったのです

神様は とても明確で
シンプルなことを示される神様であり
混沌や議論から離れるようにと仰います
その考えは 人を病ませるものだと
教えてくださいました

神様は 結果を求めているのではない
成果により人を評価しないのです

神様は 成果を求めているのではなく
神様への熱心な愛と
神様の愛を地に表すことへの
熱心さを求めておられるのです

神の国とその義を第一に求めるとは
どういうことでしょう

それは 御国に入る特権を
手放さないという決心です

神様を愛しているから
神様が悲しむことはしたくない
神様とずっと一緒にいたいから
永遠に神様と共に過ごしたいから
神の国の義を一番に求める

そういう思いで全てのことを
考え 判断し 行動することを
神様は望んでいらっしゃる

そのことを ここ数日本当に
強く感じました

神の国とその義を第一にするなら
必要は全て与えられるのであれば
どうやって稼ぐかとか
どんな仕事をするかであるとかの
お金を稼ぐことについての
心配は一切必要なくなります

仕事も神様が与えてくださるからです

また 自分自身の自己実現も
考える必要はありません
神様は 自己満足などどうでも良くなるような
素晴らしい満足を与えてくださるからです

誘惑は あたかも神様からの
恵みのような顔をしてやってきますが
神様の方を見れば それが本当に
神様から出たものかどうかは
すぐにわかります

また自分の思いは強く 神様は
この思いをきっと応援してくれるに
違いないと思ってしまうかもしれません

しかし その先で敵がしめしめと
手招きしているようであれば
神様は戒められたり ブレーキを
きちんと踏ませてくださるのです

神様は ただ教えてくださるばかりではなく
私たちに それらをきちんと判断するための
賜物をくださり その賜物を
活性化するために訓練を
させてくださっているのです

尋ねれば全部教えてくださる
という段階から 次の段階へと
コマを進められるのです

訓練の段階に入ると 神様は
質問しても答えてくれなくなります

あなたには賜物を与えた
自分でそれを用いてきちんと
判断出来るようになりなさい と
判断できるように教えてくださるのです

その時に

神様への愛が土台にないと
人は 間違えるのだと思います

結果にこだわったり
何かを恐れたりしていると
判断を誤るのです

恐れる対象は
人やお金であることが
多いと思います

物笑いになることを恐れたり
お金がなくなることを恐れたり
自分が作り上げてきた地位や仮面を
失うことを恐れたり でしょうか

虚栄心を満たそうとするのも
恐れがあるためなので
恐々としていようが
高慢な態度を取ろうが
現れは違っても根拠は同じです

神の国と義を第一に求める
ということが出来なければ
人は 恐れや欲を根拠に
考えて行動をするのです

神様は人の弱さをご存知ですから
弱いこと自体を責めることはありません

しかし その弱さの故に
間違えたものを掴もうとするなら
罪を犯さないように制してくださり
根気よく そっちじゃないよと
教えてくださるのです

私は 根拠が間違えていても
行動して結果を出す方が
偉いと思っていましたが
それは間違えであったのです
思い違いだったのです

そういう人たちを見て
私は何もしていないと思うのは
間違えていたのです

しかし 結果=実が
どういうものであるかどうかは
時間が経ってわかることもあるので
私はそれについて何も言わないことにしました

私は 神様が働かれていることだけに
敬意を示さなければならず

弱さについては神様がなさるように
出来るようになりたいです

神様が その時々に何をなさるかは
神様を見る以外にわかりません

私は自分の判断や行動の根拠を
全て神様に置きたいと切に願います
だから 自分の思い違いを指摘されたことは
恵みであると本当に感謝をします

全てのことは霊的背景に依るのであり
大切なことは結果ではありません

例え相手が神様ではなく
結果を信仰していたとしても
自分自身は神様以外を信じる信仰に
同意をしてはいけないのです

離れなさいと示されたことは
幼子だった私を
守ってくださったということです

ですが いつまでもそこに
留まっているわけにはいきません

私はそのように守られている人生ではなく
神様と共に出て行き 神様の御心が
地に現れるための手伝いをしたいので
守られるだけでは嫌だと思いました

守りにとどまりながら
外に出て行くことは可能です

人々が神様の愛により解放され
世界が変わっていくのを私は見たいです

そのために 霊の見分けは
とても大切だったし
何より私自身が解放されなければ
解放を見ることは出来ません

背後の霊が何かを見極める

システムであるとかサービスであれば
それを見分けて選ぶか選ばないかで
済んでいましたが

人の背後の霊を見極めて
それに対してどのような態度を
取るべきであるかはずっと課題でした

神様以外を見ている発言に対して
どういう態度を取ればいいのか
私は全くわからなかったのです

神様と共に使うはずの自然の賜物を
神様不在の中で もてあまし続けていたのです

困っている私に神様は
訓練の場をくださり 答えをくださいました

答えは勿論 神様です
神様だけに答えがあります

神様は 理由なくその賜物を
私に与えたのではありません

賜物は 人のためにあります
神様が用いてくださるなら
それは愛を流すものとなります

神様は私に何をさせるつもりで
この賜物をくださったのだろう
私が思いを持っている先には
一体何があるのだろう

もっともっと それを
求めていきたいと思いました

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