神様の友と呼ばれる人

りゅうくんが 夢で面白いことを
示されたのですが

それは最近 神様から
示されていながらなかなか
形に出来なかったものを
思い起こさせてくれました

仮に神様の栄光の器として
用いられたとしても

奇跡があっても悪霊を追い出しても
神の国を第一としないものは
御国には入れないと
聖書には書いてあります

神様は 裏切り者のユダも
ユダに銀貨を渡した祭司たちも
イエスさまの下着をくじ引きした人も
用いることが出来ました

そこに現れるのは神様の栄光ですが
神様に用いられることは
御国に入ることを
保証していないのです

イエスさまの御名により
奇跡が起きること
癒しが起きること
悪霊が追い出されること
それは素晴らしいことではありますが
神様の栄光が現れることは
それを取りなす人には
一切関係がありません

神様の栄光を現すことも
勿論素晴らしいことなのですが
しかし 神の国とその義を
求めることの方が
ずーっとずーっと重要なのです

どんなに伝道をしても
親や上司や自分の上にいる権威を
尊敬せずに悪態をついたり
兄弟姉妹の悪口を言っているなら
その人は神の義に生きていません

でも奇跡は起きてるよ?
印や不思議は起きてるよ?
神様のためにこんなにしてるよ?
と 言うかもしれませんが
それはただ神様の栄光が
現れているだけであり
人には関係がないのです

人は行いにより
救われるのではありません

神様のためにこんなにやってます!
と 言いながら 神の国とその義を
蔑ろにしている人というのは
ダビデに取り入ろうとして
サウルを殺した人のようです

報いを求めてそれをしましたが
ダビデの心を知らなかったために
ダビデに殺されてしまいます

神様の心は 兄弟姉妹が
互いに愛し合うことです

どんな酷い上司であっても
どんな親であっても
神様が置かれた権威を
敬うことが神様の御心です

悪いことをされても
仕返しをせずに赦すことが
神様の御心なのです

神の国を求め義に生きるというのは
敵を愛し 敵のために祈ることです

それにより 悪いことをするものの
頭に炭火を積むことになると
神様は仰いました

裁きはわたしのものだと
神様は仰っています

悪者の悪口を言うな
それを見て神様が心を痛め
戒めの手を緩められるかもしれない

そのように 聖書には
書かれているのです

ましてや 神様の愛する息子娘の
悪口を言うなら神様は
どれ程に心を痛められるでしょう

神様は公平です
悪いことをしている人のことは
心配しなくても神様は
きちんと戒めてくださいます

モーセを悪く言う人は
神様の怒りの炎で焼かれましたが

しかしその人たちのために
モーセはひれ伏し とりなしをしました
自分を悪く言う人のためにです

それが 神様が友と呼ぶ人の姿なのです

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