何に対して謙遜になるか

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どうして神様が 気を使うことを
止めるよう促されているのかといえば
気遣いにより作り笑いをすることは
仮面で人と接することになるからです

人に対して仮面を作る癖を
持ち続ける限り
相手を愛するというところには
辿り着けません

イエスさまは罪を犯しませんでしたが
罪を犯さない というのは
神様の御心から離れないということです

福音書の中に 神様とお金の
両方に遣えることは出来ず
互いに憎みあうと書かれています

最近思うのですが
謙遜とかへりくだるというのは
何に対してでもそうであって
良いことではなく

何に対して謙遜でへりくだっているか
というのが物凄く重要なんだな
と思い始めました

お金や人に対して謙遜な人は
神様に対して高慢な態度を
取るのをよく見るからです

しかし 神様に対して謙遜な人は
全ての神様の御恵みに対して
謙遜であり 決して
何かの奴隷にはならないのです

もし 支配するものがいなくなり
神様の臨在だけがあるなら
今まで 利権に頼ってきた人は
頼りにしていたものが全て
力を失ったことに気付くでしょう

そして 今までやってきた
支配が出来なくなったことに気付き
自分の本来の力を用いなければ
何も出来ないことに気付きます

人には 力があります
神様は一人ひとりに力を与え
それを用いるに相応しい
原資も場所も用意されています

利権という表現をしましたが
これは 仮面と
置き換えることも出来ます

仮面に頼ってきた人は
それが使えない場所において
やっと 本来の力を発揮するのです

神様が備えてくださった
力と原資を十二分に
活用出来るようになりますように

使ってなかった部分を
使い始めるときには
多少の筋トレが必要です

全く使い方がわからないなら
知識も必要かもしれません

クリスチャンになってから
その様に自分自身が鍛えられ
強められていると感じます

ある面では 削られ
ある面では鍛えられ
神様によって整えられていきます

自分でだって(肉の親でさえも)
神様がどのようなイメージで
自分を造られているのかはわかりません

ただお一人だけが
それをご存知であり
その方が 親となり
新しいいのちをくださったのです

人の思いを遥かに超えた
ご計画に感謝します❤️

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