産みの苦しみ

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今日 QTの時に神様から示されたことは
昨日の出来事の留飲を下げるもので

イエスさまがいらっしゃった時から
終わりの時代は始まっている というものでした

終わりというのは 悪魔が人から盗んだ
祝福によってこの世を支配する時代が
終わるということを意味しています

その根拠が例え悪であったとしても
それを建て上げたものというのは
自分たちが建て上げてきた時間や労力を惜しみます

例えば 長年働いてやっと貯めたお金で
建てた家の土台に欠陥があったと言って
全部壊して作り直す人はいません

しかし 見て見ぬふりをしていれば
何か大きな災害があった時に
住んでいる人が死んでしまったり
倒壊により事前に修理する以上の損害が
出てしまうかもしれないのです

それが自分の家ではなく
外の人に影響がある外壁であればどうでしょう

問題があるのに見て見ぬふりをしたため
人が亡くなることは実際あるわけです

それが物理的な建物ではなく
心の問題であればどうでしょう

自分の心に苦味や苦しみがあるのに
それを隠し続けるなら人は病んでしまいます

貧困の時代 暗黒の時代には
そういった状況は多くあったかもしれません

しかし そういう状況に光が当てられ
改善する機会が与えられるなら
その瞬間は苦しいかもしれませんが
それは 大変素晴らしいことです

私が「それは素晴らしいことだ」と
言い切ることが出来るのは 賜物によるのであり
私の努力によるものではありません

実際 私だってクリスチャンになってすぐの頃は
自分が今まで積み上げたものを
惜しむ心はありましたし
悲しんだり苦しんだりもしました しかし
過去に執着したり 戻りたいと思う気持ちは
幸いにも神様のみ恵みによりなかった

というだけなのです

もっと言うなら 前のが良かったと
思ってはいけないと自制していたら
神様がもっと求めなさいと言ってくださり
求めたところ 以前よりももっと良いものを
くださったという経験を何度もしています

ですが 誰もが私のようであることはありません

本当は新しい世界なんて恐ろしいし見たくない
古いものに戻りたい だけど
そういう自分の思いを振り切って
神様に期待して それを見ると決意た人の方が
余程素晴らしく 称賛を受けるでしょう

それは 大金を持つ人がたくさん献金するより
なけなしの1日分生活費を献金した人の方が
評価されるのと同じです

神様は心をご覧になる方なので
自分の思いを手放して
神様を選んだ人こそ評価されます

「恵み」と感じて感謝出来るなら
それは大変 幸いなことです

しかし 放っておいて欲しかった
気付きたくなかったと思う人も確かにいます

また そういう人が一所懸命 延命措置を
しようとすればするほど 傷は深くなります

ですが そういう人のことも
神様は愛しておられて恵みで満たしてくださいますし

そういう人が悔い改めることこそ
神様は求めておられるのです

人を建て上げることが神様から
弟子たちに託されたものの一つであるなら

恐れの霊に支配されている人を
恐れから解放することだって
当然ながら 人に与えられた「神様の仕事」です

恐れの霊に屈し 敵に加担した人が
恐れを根拠に行動すれば大変危険です

しかし 神様のみ恵みというのは
恐れに捕らわれた人が何かを為そうとしても
為らないようにしてくださるのです

先日の Power and Loveの講師
ロビー・ドーキンス牧師が私たちの教会で
メッセージしてくれたお話の中に
こんな出来事がありました

ロビー牧師を逆恨みして お前を殺してやると
礼拝にやってきたマフィアが
礼拝中ずっと 身動き一つせずにイスに座っており
何もせずに(ふらふらと)帰って行き

後に電話がかかってきて 俺に何をした!
全く動けなかったんだ!と言ったそうです

その時ロビー牧師は

私は何もしていないよ
イエスさまがあなたが罪を犯さないように
あなたを守ってくださったんだ

と 言ったそうです

自分が撃たれるかもしれなかったのに
自分が守られたと思うのではなく
自分に罪を犯そうとしていた人が
イエスさまにより守られた

という表現は目から鱗でした

私は今まで 人が自分の思い通りに
出来ることは良いことだと思っていたので
悪いことをやりたい人が自分の思いで
悪いことをして滅びることを
残念ではあるけど仕方がないと思っていたのです

しかし 神様はそうではありませんでした
悪いことが出来ないように
守ってくださる神様だったのです

言われてみれば自分もそんなことばかりです

悪いことは やろうと思っても出来ないのです
その事を 自分自身は恵みだと思っていたのに
人についてはそうは思っていなかったのです

ある意味私の感覚も間違えてはいません
何故なら リアリティ というのは
その人がどのように感じたかであるからです

人が悪いことをしようとして
悪いことが出来ずに地団駄を踏むなら
その人は確かに失敗者で恥を見たもので
両手放しで喜べるようなものではありません

そのような状況にいる人を
可哀そうだと思うのも一つの感性ですし
可哀そうだと思うから
とりなし手として選ばれるのだと
言われたこともあります

しかし 御国の現実を自分のものと
することは それはそれで
とても大切なことなのです

今まで悪いことでお金を稼いでいた
やくざ者がクリスチャンと結婚して
奥様の祈りにより事業が上手くいかなくなり
無一文になり 神の愛を体験したなら
御国では 勝利を祝います

勿論 私は不幸が襲うようにとは祈りませんが
神様のなさることは全て益になると
信じる信仰は重要です

なるべく痛い目に遭うことなく
その人の目が開かれますように
しかし 御心の通りになりますようにと祈ります

私はこのことを 人に対しては
古いものを手放せば
新しいものが入ってきますよ
期待しましょう!

と 言って励まします

ですが 古いものを手放せずに
苦しみの中に入っていく人も
それはそれで良いことなのです

手放す過程が人を練るからです

成長の過程で葛藤に入ることを
悪いことであるとは思いません
(大変そうだとは思いますが)

そのように得たものには
大変な価値があるからです

練られた品性 希望
そういったものを人が掴む過程も
神様は共にいらっしゃり
愛とみ恵みとご好意とで満たしてくださいます

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