神様がくださる希望

昨日 霊的打ち破りがあったので
今日は久々に家の中に平安がありました

全部が片付いたわけではないですが
敵の攻撃が 人の思いと切り離されれば
あとは掃除をするだけ といった感じです

やっと平安の中でお茶でも飲むような
雰囲気になったのでとても感謝です

ちなみに霊的ばたばたは
会社においては大量の迷惑メール
という形で現れていましたが

メールサーバの段階で破棄するように
細かに設定を施したお陰で
かなり減らすことが出来ました

そんな雰囲気の中で 示されたことは
昨日書いた日記の総括とも言えることで

自分に出来ることを発揮することよりも
(自己実現をすることよりも)
神様と共に生きることの方が
素晴らしい ということでした

イエスさまは 神であるにも関わらず
人として地にお生まれになり
人としての制限や不自由を全て味わわれました

それは やろうと思えば出来ることをやらずに
神にあってやるべきことを為し遂げた
という言い方が出来るのです

十字架刑に処せられる直前
イエスさまが祭司たちに捕らえられるところでは
この様に仰っています

マタイの福音書26章53-54節
それとも、わたしが父にお願いして、
十二軍団よりも多くの御使いを、
今わたしの配下に置いていただくことが
できないとでも思うのですか。

だが、そのようなことをすれば、
こうならなければならないと書いてある聖書が、
どうして実現されましょう。

イエスさまは他の箇所でも
自分のやりたいことはやらず
神様のみこころだけをした
ということが書かれています

神様のみこころというのは
人が 神様の元に立ち返ることです
神様が人を造られた目的の元に
人が戻ってくることがみこころです

神様は義であり愛であり
万軍の主で勝利の神様ですが

しかし 神様はご自身で
地上に落とされた反逆者を
駆逐することはせずに

ご自身に似せた人を造られ
地を取り返して管理しなさい と
仰られました

神様を知らない人が
「神様」と聞いた時に
どのようなイメージを
持つのかわかりませんが

神様は 私たちを目的をもって
造られた方であり その責任を
担ってくださる方なのです

人は 罪によりその祝福を
悪魔に盗まれてしまいました

なかなか人がそこから神様に
立ち返ることが出来ないので
罪の身代わりとなるイエスさまを
送ってくださいました

しかし 悪魔たちから地を
取り返すという本来の使命は
私たちの上にあるのです

ですから イエスさまは
こうやって悪魔から取り返すんだよ
というお手本を見せてくださいました

敵の誘惑に打ち勝ち
悪霊に捕らわれている人を解放し
病を癒し 罪人に赦しを宣言して
立ち直らせました

そして ある人は弟子として迎え入れ
ある人には 着いていきたいと言っても
帰って証しなさいと言われました

そして弟子に対しては
福音が世界の隅々にまで
満ちるようにしなさいと教えられ
国々を弟子としなさいと教えられました

今日のQTで 神様は
このようにも語られました

わたしの子どもたちが地において
敵に騙されることなく権威を用いて
置かれた場所で父の栄光を現すなら
地はどれほどに愛に満ち
豊かであるでしょうか

利権をむさぼる者は確かに
正しい人を亡き者にしようと
してくるかもしれません

しかしそれだって何十年前と今とを
比較したら全く世界は違うでしょう?

父は 別に不当に人から
取り上げようとしているのではありません
父の所有物を預けるに値しないものに
相応の制裁を与えるというだけであり
しかし自らの罪を言い表す者に
父は惜しみなく必要を与えるのです

必要とは何でしょう それは
地のよき管理者としての生き方
その人本来の生き方を喜ぶことです

自分自身の身を立て
次の世代に教え育て
多くの人が喜びながら
敵から地を取り戻す

それが神の子どもたちのイメージです

こんな啓示を貰った後に
心の底から怒りを感じるような
信じられない考え方を耳にしました

それは 利権をむさぼるものの意見でした

不正は隠されるべきだ
それが明るみに出れば
迷惑をする人がいるという
本当に 耳を疑うような言葉でした

時間がなかったので
そんなの 悪いことをしていれば
報いを受けるというだけのことですよ

と 言うだけでしたが
もし時間があったら
では不正により人が殺されても良く
殺されるのがもし身内だとしても
不正は暴かれずとも
泣き寝入りするんですね?
とでも畳み込んでいたことでしょう

そう思ってから

泣き寝入りも仕方がないとか
言いそうで嫌だなぁと思いましたが
しかし 実際その泣き寝入りを
忍耐と勘違いしている人が多いので
その事にも怒りそうな勢いでした

怒っても何も変わりません
正論も何の力もありません

ただ そんな世界がもう既に
終焉を迎えていることは確かで
こどもたちが地に満ちる時が
近いという希望だけがありました

神様があらかじめ 希望を
語ってくださっていたからです

なので

私の思いから私を守ってください!と
神様にお願いしました

すると怒りは収まりました

買い物をして家に着くと
再び怒りが湧き出そうになったのですが

今度は その人の代わりに謝罪をする
とりなしの祈りをしました

そして 隠されていた心の問題が
露になり 光が当てられたことに
心から感謝をしました

神様の時がもうすぐそこであり
全てが良くなることに
本当に感謝をしました

私自身についても
怒りにより罪を犯すのではなく
神様により良いことをすることが
出来たことに心から感謝をしました

実は今朝 打ち破りにより
問題と自分の感情を切り離せた結果
人を騙せなくなったものたちが
本来の姿 有害な虫の形で
外にあぶり出されてきたのを
ぎゃー!と言いながら片っ端から
叩き潰し追い払うという夢を見ました

人の心の内に隠れていた
虫たちを追い出す日だったのです

しかし 人に語りかけて
人を成長させるのは
神様でなければいけません

正論でやり込めても
何の意味もないのです

全てが神様によって変わります
私はそのことを本当に期待しており
実際 その通りになるのです

私は私のやるべきことを
神様のイメージの通りにやります

それにより受ける報いが
私の生きる糧だからです

その後 夜勤のりゅうくんを
会社に送り出した後も
いくつか祈りの課題が
情報として入ってきましたが

それに対する愛が与えられ
祈る機会が与えられることに
心から感謝をしました

神様は こんな日本でも
愛してくださっている
その事に感謝をしました

この国で 私たちに与えられた地域で
神様の栄光を見ることが出来ますように

たくさんの希望が
人々を命に招き入れますように

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