自分の土台を神様に据える

夕食後すぐに寝てしまい
早朝に昨日の日記を書いていましたが

書き終えてもう一度寝ようとすると
時間が5:55 スマホの充電が55%で
画面に5がたくさん並んでいました

りゅうくんにそのことを伝えると
イザヤ書の聖句を送ってくれました

イザヤ書 55:5
見よ、あなたは知らない国民を招く、
あなたを知らない国民はあなたのもとに走ってくる。
これはあなたの神、主、イスラエルの聖者のゆえであり、
主があなたに光栄を与えられたからである。

今日は朝からいくつかの気付きがありました

その中に 私が神様の思いからずれた時に
りゅうくんが見分けられなくなるのは何故か
という疑問についての答えがありました

例えば 今グッズ制作の企画をしているのですが
グッズ造りは本当に大好きなので
自分の思いがかなり入ってしまいます

なので 作成する時期や順番を
神様に確認する時に かなり私情が
入ってしまうのですが

私もそのことを分かっているので
りゅうくんに 確認してとお願いしても
りゅうくんは「神様の意見がわからない」
となってしまうのです

結局 自分で気持ちを落ち着けて冷静になり
神様に確認を取ることになります

少し前までは りゅうくんが神様から
ずれた時は私が見分けて教えるのに
その逆にはならないのかなぁ
りゅうくんが私に教えてくれるようには
ならないのかなぁと思っていたのですが

そうか りゅうくんは私が導いた羊だから
私と神様がずれてしまった時に
私がずれているということを
直視出来なくなっちゃうんだなぁ

と いうことに思い当たりました

加えて 私自身の訓練という意味も
あるんだろうなぁと感じました

とは言え 男女の権威においては
りゅうくんが上の権威で私を守る立場なので
私よりも神様を見るようになって欲しいな

と ついつい思ってしまいます

アダムとエヴァもそんな関係性でしたが
神様に土台を置いた時に アダムとエヴァの
呪いから私たちは自由になることが出来るので
(私もそうなんですけど)ひとりひとりが
しっかりと神様を土台に立つことは大事であり

それを言う時 やっぱり私自身も
訓練が必要なんだよなと
自分にそのまま返ってくるのでした

こういう状況をネットではよく
「ブーメラン」という表現をしますが

今日は 会社内でも私に限らず
みんながみんな ブーメランだらけの
一日となりました

特に責任ある立場の人にその傾向があり
口を守った人は恥を見ることがない
という状況に苦笑いをするしかなく

神様が今 そのようにして
権威者を建て上げているのだろうな
ということも感じました

昨日も書きましたが 自分の責任範囲は
愛という権威を用いることで守ることが出来ます

愛を考える時 平安に留まることはとても大切です
平安を失った途端に愛から離れるからです

今 神様が ひとりひとりをその季節に合わせ
建て上げようとしておられることを感じます

御心が 地においてもなされますように

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