神様の嫉妬と忍耐

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QTメール(聖句)を読んでいて
ある一節がふとフォーカスされました

詩篇16篇3節
地にある聖徒たちには威厳があり、
私の喜びはすべて、彼らの中にあります。

ちなみにこの次の4節では
偶像崇拝に走った人たちは
苦しみが増し加わることと

彼らがやるようなことを
私はしませんし 偶像の名を
口にすることもしません という
誓いが書かれています

これを読んだ時に 神様が
ある思いを与えてくださいました

それは「嫉妬」という感情についてです

3節にあるように 聖徒の喜びは
他の人のものであっても
喜びと感じます それは
ひとつの聖霊 同じ御霊が
イエスさまを信じる信仰を持つ人に
与えられているからです

ところが 先日書いた通り
例え自分はイエスさまを
信じる信仰を持っている と
思っている人であっても
間違えた思いや過去の習慣から
敵の誘惑による偽の宝を
掴んでしまうことがあります

(神様と御使いと関係性の回復 参照)

私がその事を指摘してしまうのは
実はクリスチャンになる
以前からのことでした

クリスチャンになったから
与えられた見分けではなく
見分けの賜物は 私が
生まれつき神様から与えられた
自然の賜物なのです

但し クリスチャンになる前は
見分けることは出来ても
それがどういう性質のものかを
正確に現すことが出来るというだけで

それが良いか悪いかの分別は
知識がなかったので出来ませんでした
その部分は クリスチャンになり
聖書から学びましたが

クリスチャンになって聖霊を受ける前は
敵の邪魔が酷くて聖書を読むことは
全く出来ませんでした

開くと眠くなり どうしても
読み進められなかったので
聖書を読みたいから
聖霊を貰いたいと思い
洗礼を受けたのです

そのように敵は 人が真理を知り
解放されることを邪魔します

話を戻します

これはクリスチャンになる前のことですが

ある人が自慢することに対して
それって良くないことだと感じる
と言った時に その人から
嫉妬してるからそういうことを
言うんだと言われたことがありました

いや別に全然羨ましくもないし
そんな如何わしいもの欲しくないし

心配して言ってあげてるのに
こっちを悪く言うなんて
この人ヤバイな
高慢になっちゃってるなぁ

と その時は距離を置くに留めましたが

その言い方こそが 敵のやり口だと
いうことを神様が示してくださったのです

嫉妬とはどこから来るか
敵からです

私はその時 敵の嘘を
嘘だと見抜いて自分の思いにせず
嘘つきから離れるという
選択をしましたが

もしその様に言われた時に
あれ もしかして嫉妬心から
そう思っちゃってるのかな?と
自分の感覚を疑ってしまうなら
敵の支配に片足を突っ込んでしまい

そうか 嫉妬心からこんなことを
言ってしまったのか と
反省などしてしまうものなら
完全に敵の手に落ちるのです

私が過去に間違えた感情を
持つようになったり
自分を責める必要がないことで
自分を責めるようになっていたことは
全て このような「敵の嘘」を
間違えて掴んでしまっていたものです

その様にして掴んだ嘘は
自分の心を蝕み 本来の命が
失われてしまいます

実は 私も全く嫉妬をすることが
無いわけではありません
ですが 私が嫉妬した人は
全員が不幸になりました

要するに 嫉妬というのは
敵から来るのですが
自分の心から来るのではなく
相手の背後から来る場合もある
ということで

それを掴んでしまったら
敵に勝利を与えてしまうのです

愛する人が不幸になったら
人は心を痛めます
しかし嫉妬している相手が
不幸になっても やっぱりねと
思ってしまうのです

私はクリスチャンになる前
その事に対して冷たい 愛がないと
責める敵の嘘を掴んでしまっていました

ですが 問題は愛がなかったことではなく
嫉妬という嘘を掴んで
公平な態度を示さなかったことに
非があったのです

しかし その時あなたは神様を知らず
何が公平な態度かを知らなかったのだ
敵の嘘を手放しなさいと
神様は示してくださいました

では公平な態度とは
どのようなものでしょうか

神様は 嫉妬をする神です
しかし嫉妬しても忍耐して
振り向いてくれるのを待つ方です

そうでなければ放蕩息子に
叱責も諭しもせずに
相続財産を渡して敵の誘惑へと
送り出すことがあるでしょうか

どんなに神様の真理を信じていても
もし嫉妬にかられて怒り
その怒りを相手にぶつけるなら
それは敵の性質を現しています

もし クリスチャンが
敵の支配下にある人に嫉妬し
敵の態度を真似ていたら
公平な神様のみおもいや
愛が流れる機会が失われます

神様は ご自身が造られた
イメージの通りのことだけを
私たちに示してくださり
決して嘘は仰いません

人の弱さをよくご存知で
そこに栄光を現してくださいます

敵を真似たり敵の嘘を掴めば
その栄光は当然ながら現れません

もし 神様があなたは喜びの子だとか
繊細だとか 優しい子だとか
言ってくださるのに
自分には喜びがないと感じるなら
それは敵の嘘を掴んでいる状態です

しかし実感はないけど神様が言うなら
私は喜びの子なんだ!と掴むなら
それは必ずその通りになります

敵を信じれば敵のイメージに
神様を信じれば神様のイメージに
変わっていくのです

逆に 言葉に気を付けなさいとか
慌てずゆっくりしなさいと
神様から示されているのに

それを軽視したり
指摘してくれる人を悪く言ったり
そうは言っても忙しいから
無理ですと口答えをするなら
それは 敵の嘘を信じている
ということで

時短を考えて行動した全ては失敗し
慌てた気持ちから怒りまで出て
人に愛のない態度を示すことになり
全てが台無しになるか
敵の用意した不正の宝を掴み
すぐに手放すことになります

それで燃え尽きて 神様の平安から
出ていたことに気付いて反省し
遠回りのように優雅にのんきに
過ごした時に 神様の手により
全てが上手くいくことを体験するのです

自分の心が自分を責めても
神様の言うことを信じて
敵の嘘から解放されて
敵に壊された領域を
回復する必要があるのです

もし本当に聖霊に聞き従う
従順を選ぶことが出来るなら
葛藤はあるにせよ 必ず
神様の良いご性質だけが
流れることになります

神様だけに似た者になりたい

ですがそれは私の努力に寄らず
敵を掴まず神様を掴むことにより
神様の栄光が流れることによります

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