大切にしているもの

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例えば 身嗜みというのは
一緒にいる相手に対する気遣いであり
季節感というのは 四季が豊かな
日本という風土を楽しむことだ

という思いを持っていたので
清潔感や季節感については
最低限気遣おうとは思いつつも

自分にとって長い間 装いに
お金をかけることはかなり
優先度が低いことでした

また 似たような理由で
相手の立場や肩書きに対して
敬意を払うことはせず

その人の人柄や品格や謙遜さ
それから愛の形に対して敬意を
払うという 自分なりの
価値観を幼い頃から持ってきました

理由は 私がいた環境にあります

祖母が体調を崩した時に
出逢った 病気を癒す奇跡を起こす
台湾の先生の家では
各界の著名人や文化人
財政界の人や芸能人が
たくさん集っていました

その反面で 貧しい人や
肌の色が違う人もたくさんいて
その家の中では 誰もが平等であり
自分の立場や身分を誇る人は
誰もいませんでした

その中で 私は癒しの先生を
本当の親のように慕っており
私自身も先生のお気に入りでした

幼いながら 私は先生と奥様の
お手伝いをして 自分が貰った
良いものは来る人達みんなに
分け与えていました

子どもなのに 貰ったお菓子を
全部食べずに分けちゃうんだねぇ
と とても驚かれたのですが
その時は そう言われることが
「褒められた」と感じてとても嬉しかった

一歩外に出れば私は親からも
理解してもらえない変わり者でしたが
その場所では私は私のままで
受け入れられていました

多分その人はクリスチャンでは
なかったのですが それでも
天を創造された神様を祀っており
美しい地球のために という
メッセージを頂いた場所でした

そういう場所があったことは
本当に 私の救いで強さの源でした

その家から一歩外に出たら
私など相手にしないであろう人達が
分け隔てなく 一人の人として
対等に接してくれました

うちは 決して彼らと釣り合うような
裕福な家だったわけではありませんが
祖父は 彼等と釣り合う人で
縁を頂いたのは祖父母からでした

うちの親は身内に全ての
財産を持っていかれ
身内に騙され二千万もの借金を背負い
父は40台で脳内出血で倒れました

祖父母は なんとかうちを助けようと
色々な支援をしてくれて
その支援のひとつが 彼らとの縁でした

なんと言うか
ボロは着てても心は錦でいよう
と いう思いがその時から
身に付いていたと思います

本当に人格ある人達というのは
決して私や貧しい人を差別しなかった
だから私もそうなろうと自然に
思うようになりました

しかし私のその態度は 外に出ると
摩擦を生むものでもありました

ある人には妬ましいものとして映り
ある人には嫌みに映るわけです

そこそこ大変な道を通ってきた
方だと思っていますが
苦労なんてしたことないんでしょう
と 突っかかられることもよくありました

しかし 私は本気で愛の人でした
そうやって突っかかってくる人とも
腹を割って話し合うまでになり
友達になることが出来たのです

母からは 誰の面倒でも見てたよね
でも なんであんたをいじめてた子の
面倒まで見てるんだろって思ってた

と 言われました

親には今でも理解されていませんが
それは いじめる子の心の闇に
光を当てることで いじめが
なくなるからに他なりません

私は 自分がいじめられなければ良く
他の人が生け贄になればいい
という人達が大嫌いだったので
根本解決をしたまででした

昨日の記事の補足でもあるのですが

私は幼い頃の長い時間を
そういう環境で過ごしたから
媚びる必要はありませんでした

自分にはやるべきことがあり
それだけにフォーカスして
生きてきたからです

私がやっていることは
誰にでも出来ることではなく
私にしか出来ないのであるなら
やるしかないと思っていました

勿論そこには 敵の嘘が
多分に混ざっていましたが
そこを正常化することを
召しとして頂いたわけです

のですが

何も 良いものだけを
見て来れたわけではなく

表裏一体の場所に存在するものが
常にありました

先の いじめの話において
いじめっ子よりも被害に遭わないよう
誰かを生け贄にする人の方が
余程嫌いだった というように

常に常に 大嫌いなものが
隣り合わせにあったわけです

最初の話の裏側には
いわゆる社交界というものがあり
私はそれが心底大嫌いでした

大嫌いポイントを書き連ねるのは
不健全なのでやりませんが

ぜーったいに親の跡を継いで
医者にならないと心に誓ったのは
彼等と付き合いたくなかったからです

が そういう世界が好きな人には
色々なことを言われるのです

話を聞いていると 表面ばかりで
内面がカラカラに乾いていて
自分が求めているものの正体が何か
わかっていない人達です

しかし強調して言わせて貰うと
そういうのが好きな人達とは
ぜーったいに付き合いたくない

のですが

ハイディベーカーが神様から
あなたは盲目だ と示された時のことが
心に刺さるのです

神様は 彼らのような心の貧困に対しても
目を開くようにとハイディに対して
促しておられたからです

私はどうでしょうか

彼らの貧困をわかっていながら
軽蔑し 嫌っているとしたら

それは 彼らがお金がない人を
嘲り 見下し 避けるのと
変わることがあるでしょうか

結局 人のアラというのは
自分自身の写し鏡だということです
私に彼らを嫌う権利があるでしょうか

私が真に悔い改めるとしたら
その事なのです

しかし 嫌いになった理由を
神様は私に思い起こさせたかった

彼等が嫌いになったのは
愛が届かなかったから なのです

勿論 今のままの彼らに
染まることは有り得ません

しかし 本当の幸せが何かを
ぜひ 全てを失う前に知って欲しい
という思いはずっと持っていて

しかし彼等にとってそれは全く
無価値なものなのです

ですが神様は
良いことをするのに飽きてはいけないし
何より ミイラ取りがミイラに
なってはいけないよ と
幾度となく示してくださって
いるように感じます

彼らのことを嫌だと感じる時
そこに背後の霊は間違えなくいます

その霊は 彼らが救われないよう
彼らの背後に存在するものなので
その霊に目を眩まされられて
彼らを愛することを止めるなら
彼らが滅びていきます

それは 神様の御心ではありません
しかし聖書にあるように
神様以外に頼りにするものを
持っている人が救われることは
針の門を駱駝が潜る程に
難しいものなのです

であれば 祈るしかない

石の心に肉の心を与えられるのは
神様だけだからです

結論を言うと

私は 自分が大切にしているものを
大切にしなさいと示される通りに
大切にしますが

それを軽視する人のことを
恨むのではなく 愛によって
全てが変わることを期待します

過去の間違えた価値観や
間違えた価値観による
人の評価を一切受け入れません

神様の目線に立てるように
神様の栄光だけを求めることが出来るように

神様は 私たちの満足のために
いらっしゃるのではない

私たちが神様の思いを
満たすものであるべきなのです

神様の御思いは全てにおいて素晴らしい

そのように思えるのは
自分の名前が天に書かれているからであり
私の功績ではないのです

選びの子たちが 自らに
与えられた召しの素晴らしさに気付き

そこへ向かう道が光により
完全にされることを心から祈ります

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