地境を広げてもらうために通る道

神様が喜ばれない性質が
自分の中にあることを自覚しながら
隠していると いつまでも
神様に近付くことは出来ません

しかし逆に 喜ばれない性質が
残っているにも関わらず
その事を自覚しないままに
神様の前に出ていることもあります

子どもが悪さをすれば
親は注意して正すことが出来ますが

しかし子どもに知恵がついて
親の前では悪いことをせずに
隠れて悪いことをしたり
悪い思いを持ちつつもそれを
表に出さずに隠して生きていたら
どんな人生を歩むことになるでしょう

喜ばれないだろうなと思いつつも
本音で話してくれる方が
子にとっても親にとっても
良いのですが

しかし 悪いことだと知らずに
悪い思いを抱いている時は
それに光が当たって明らかにされ
悔い改めるチャンスを得る方が
遥かに良いことです

ノアの時代に神様は
人が思うところは悪いものであると
認められつつも それを理由に
人を滅ぼさないと
決心してくださいました

しかしだからといって
悪い思いを抱いたままで
いて欲しいわけではありません

カインがアベルに妬みを持った時
神様は 自分が間違えていると
わかっているのに妬むのであれば
自分を制さないと罪を犯すことになると
警告してくださいました

しかし 神様の声ではなく
罪の誘惑を選び取ってしまい
人類初の殺人が起きました

カインはアベルを殺して埋めたので
地は呪われてカインが種を撒いても
実を結ばなくなりました

しかし神様は カインが
人から殺されないように
かばってくださいました

自分の行いの代償は
刈り取ることになり
カインの場合は農夫だったのに
地が実を結ばなくなり
仕事が出来なくなりました

しかし神様は人の罪を
イエスさまに全て背負わせ
イエスさまを見上げる者は
生かすことを決められたのです

そうでないと人は罪で
全滅してしまったことでしょう

しかし神様はそれを望まず
ご自身の一人子に全て担わせ
人を生かすことを選ばれたのです

悪い性質があることは
仕方がないことです

しかしその性質を捨てて
神様に立ち返り 悪いことを
思わなくなりたいと思うか

それともこの悪い性質は
決して人に知られることなく
闇に葬り去られるべきと思うか

或いは この悪い性質も
素のままの自分なのだから
みんなは自分を認めるべきで
私はこんな自分も愛していると思うか

その心の態度によって
何が変わるかと言えば

神様から任される範囲と
敵から受ける攻撃が変わります

罪を犯すことを良しとしているなら
その部分に大切なものを預けたら
敵にすぐに盗まれてしまいます

であるなら 神様としては
その人に任せることが出来ません

この領域をあなたに預けて
管理させたいからこの事を
悔い改めて と神様は示すことがあります

その様に示されることは
とても幸いなことです

しかし 神様の方からその様に
示されるためには
あらかじめ 自分自身が
その示しを受け入れる覚悟が
出来ていた方が良いに決まっています

覚悟があるなら 示された時に
固く決心することが出来ますし

神様が何が罪で何が罪でないかを
語ってしまったら その事により
間違えたことを続けることで
罪に定められてしまうからです

しかし 神様がそれは止めてね
と言うまでは 実は罪に定められておらず
手放して欲しい懸案事項として
人に残っているのです

ですから 自分で自分の欠点を自覚しつつ
それを自分で責めることは
とても不健全極まりありません

自分の弱さにある敵の囁きに
同意し続けているようなものです

自分で責めることを止めて
神様の御手に全てを委ねて
神様に変えてもらうことを
祈ることには力があります

石ころからでもアブラハムの
子孫を興すことが出来る神は
イエスさまの血潮により
私たちを完全に聖く義なる者に
作り替えることも可能なのです

先日 りゅうくんが
羊と犬の面白い性質を見つけました

羊はみなしごになった時に
継母に胎盤をかけられて
血のにおいをつけられると
継母を実の親だと思うそうです

臭いをつけられたことで
実母と継母の区別が出来なくなる

しかし犬はそんなことをされても
自分の親を見分けるそうです

イエスさまは 罪を犯す人を
悪魔から出た者だと言いました
悪魔から出た者は父の真似をする
だから罪を犯すのだと言いました

故に人は一度肉に死んで
御霊により命を得る必要がある
その様に仰ったのです

敵は常に常に人を誘惑し
人から恵みや約束を盗もうとしています
残念ながら その誘惑は
千年王国の到来まで続きます

任される範囲が広がる時
今まで体験したこともないような
或いは思ってもみなかったような
事柄に直面するかもしれません

そういう時に 自分の手を
見ること程愚かなことはない

自分のキャパシティを超えることが
起きるとき それは幸いだと思います
神様に委ねるしかないからです

今 私とりゅうくんの間では
たくさんの小さな問題
神様が変えたいと思ってくださる
自覚もないような古い性質が
たくさん炙り出されているのですが

地境を広げてください という
祈りの結果として起きていると
感じています

過去の自分は 管理責任範囲が
広くなるのは面倒くさい
と思うタイプだったのですが

りゅうくんと出逢ってから
この人となら大丈夫かも と
思うようになりました

実際は りゅうくんを
建てあげるという過程がありますが
それをするのは私ではなく
神様の責任だと思っています

責任は神様にありますが
それは私が何もしなくてもいい
という意味ではありません

りゅうくんの問題と向き合う中で
自分の中の問題が
炙り出されることもあります

思わぬことに自分が
意識を持っていかれていて
びっくりすることもありますが
気付けば解放されるので

光を当てて頂けることは
本当に 幸いなことだと思います

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