神様の御心を察する

以前 ノアが神様のレーマ(預言の言葉)と一緒に
信仰を受け取ったということについて書きましたが
預言は神様からの招き参照)

信仰は自分自身の思い込みではなく
真実なる神様のご性質を理解した上で
語られた言葉を掴むことにあります

預言というのは占いのように
自分が言って欲しい言葉を得るものではありません

また 預言の言葉は神様からの招きなので
それに応答をしなければ結果は得られません

更に言うと 神様のなさることは
必ずしもわかりやすい表現で
言ってくださるわけでもありませんから
察する必要もあるわけです

実は以前 ある姉妹に
彼女が望まない出来事が起きた時
神様はこんなことをするはずがない!という
「自分自身の信仰」を彼女が宣言したのですが

その時に 目に見えないナイフのようなものが
飛んできたことがありました

また ある他の教会の人が教会見学に来て
この会堂は利用価値がある と言った瞬間に
黒い蛇のようなものが出てきて
腕をかみつかれたこともありました

人の信仰と神様の信仰は別物です

人の思いに乗って 人の思いが
ナイフのように飛んで来ることもあれば
人の思いに敵が乗って来ることもあり
それはクリスチャンであっても同じです

しかし ここがとても肝心なのですが
この問題は相手の思いの問題ではないのです

それももしかしたら問題かもしれませんが
少なくとも私がどうこうする問題ではないのです

ヨブが 奥さんに「神を呪いなさい」と
言われても ただ信仰によって
信仰告白をしたようであるべきなのです

もし私の思いの中にその刃物や黒いものと
同じ性質がないなら 出て行け と言えば
すぐに出て行きます

しかしもし それと同じ根の間違えた考えを
自分自身が持っていたなら それは
命令をしても出て行かないのです

足場になる人が問題なのではなく
そういうものが飛んできた時に
自分の霊的背景がどうであるかが問題なのです

そしてもし 同じ霊的背景があるなら
自分の内からも締め出せないし
相手の背後の霊も追い出せません

にもかかわらず 相手の信仰に対して
自分の信仰をぶつければ喧嘩になります
そういう衝突を起こすことが敵の策略です

勿論 聖書的信仰に固く立つことも
大事は大事なのですが それによっては
ヨブは解放されませんでした

そうではなく 今神様がこの状況について
どう仰っているかを聞くことが大切であり
ヨブも最後には神様に意見を求め叫びます

その時々に神様の声を聴いて
神様の信仰に固く立つことと
自分の信仰に頼ることとは全く違うのです

という前置きをした上で

昨日今日で ちょっと興味深い
神様からの語りかけがありました

りゅうくんがよく 時間ギリギリに家を出て
絶対に間に合わない と思っているのに
神様が真っ直ぐ行きなさいとか
次の角を曲がりなさいとか
示される通りに行くといつも何故か
間に合ってしまうそうなのですが

しかし 神様が今のスピードのままで
真っ直ぐ行きなさいと言ったのに
りゅうくんが「間に合うだろう」と思って
スピード落とした結果 神様から
曲がりなさい その道はもう違うと言われた

という経験もあるのだそうです

声を聴いていても その通りに
動かなければ道が変わってしまうのです

聴いているのに従わない ということは
実はりゅうくんにはよくあって
折角声を聴いているのに勿体ない!!!と
教会の姉妹が憤慨していましたが(苦笑

私も 手のひらの上で野菜を切っていて
まな板を使いなさいと示されたのに
あと少しだし と続けたら野菜が手から
すっぽ抜けてしまったことがあったので
私にはりゅうくんのことは言えません

ですが ふと思ったのですが
私の場合はりゅうくんと反応が違いました

その時の神様の声に従うかどうか
要するに まな板を使うか使わないかよりも
どうしてそのように神様が
レーマをくださったのかを察するのです

全てのことに対して丁寧でないと
ケガをしたりものを無駄にしたりするという点を
神様は改めて欲しいのだと感じ取ったのです

ですから その時から努めて物事を丁寧に
こなすように気を付けるようになりました

自分の内から 侮りの心を追い出し
自分自身や周囲を大切に出来るように
心を与えてくださいと祈りました

最初の数日は 古い癖で手を抜こうと
してしまいましたが その度に
聖霊様がブレーキをかけてくださいました

そのブレーキによって良い習慣を
身に着けることが出来たので

実は以前 頻繁に手を切っていたのですが
(手をケガすることに対して全く
慎重になる気持ちがなかったのですが)
その時以来一度もケガをしていないのです

それは自分の努力の結果ではなく
神様が「飢え渇き」を与えてくださったことに
忠実に聞き従った(祈り求めた)だけのことで

自分が自分の思いで気を付けているから
ケガをしていないのではないのです

その事を思い起こさせられた時に

そういえばりゅうくんは
どうして神様が間に合うように
導いてくださっているのか という
根っこにある真の思いに気付いて
悔い改めて求めればいいんじゃないかなぁ?

という思いが与えられました

しかし私の思いとしては
いつもそうやって神様からあれこれ
指示されることも羨ましいなと
思っていたので これって本当に
神様の思いであってるかな
余計なお節介じゃないかなと
いう気持ちもありました

しかし今日 私が自分の肉的な欲求よりも
時間に忠実でいることを選ぼうと決めた時に

神様から 人との約束に対して
誠実であろうとする姿勢を褒められました

その褒められた中に
「どうしてりゅうはわかってくれないかなぁ」
というニュアンスが含まれていたのです

また同時に 私がその部分(時間)において
誠実に固く立っているので
りゅうくんの霊的な背景にも
揺るがないのだと教えてくれました

(逆を言うと自分が弱いところは
影響を受けるということを知らされました)

神様は ただご自身が言われたことに
忠実であるだけを求められているのではなく

神様がどうしてそのように指示をしているのか
その裏の意味をもっともっと求めて欲しい
そのように神様との関係を
深めて欲しいと願われているようでした

なので この件をりゅうくんに伝えました
しかし私の思いなのか敵からの嘘なのか
よくわからなくもあったので
自分で神様に聞いて考えてねと添えました

しかしその直後で面白い記事が流れてきました

猫がソファで爪研ぎをしているところに
ダメだよ そこは爪を研ぐところじゃないから
辞めてね と優しく声をかけていると
猫が目をキラキラさせながら 注目されてる!と
勘違いして余計にバリバリ精力的に
爪を研ぐというお話でした

それをりゅうくんにシェアすると
ぼくか と言っていましたが
私もそうだな と思いました

その後 りゅうくんがいつもよりも
10分も早く会社に着いたとメッセージが来ました

すごい!神様の想いに応えたのか!
と思ったらほんのちょっと違っていて

食事をしていたら 急に神様が
30分までに出よ!よーいどん! と言ったので
頑張って32分に家を出たのだそうです

思い切り笑ってしまいました
2分遅れたけど頑張ったようです

やっぱり 神様は
忠実に動いて欲しいのではなく
余裕を持って時間を守って欲しいと
思っていたんだね と思いました

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