悪いものをただ見て見ぬふりをするのは
愛がない ということを
クリスチャンになってからすぐの頃に
示され悔い改めたことがありますが
しかしながら「お節介」というのも
するものじゃないと聖書に書かれていて
線引きが難しいなぁと思ったことがありました
が 物凄く単純な話で
この件にはどこまで関わるべきですか?
と 神様に尋ねれば答えは頂けます
人と比較することの愚かさもよく知っていますし
人は人 自分は自分という考えの環境で育ったので
元々お節介は好きではありません
ですが 上述の通りその考えは
愛がないと神様から示されてしまったので
自分が愛を流す責任があるところには
遣わされるものだという自覚はあります
しかし かといってそういうことが
好きになるわけでも慣れるわけでもない
まして 多くの人が細かいことを言わずに
スルーしているのを見ると
どうしてこれを言う役目が私なのかなぁ
と 思わなくもないのですが
単純に 神様がそれを伝えるのに
相応しいものとして選んだのが
自分だったということもわかっていますし
自分がそれを言ったことで 明らかに
霊的背景に影響があることがわかるので
自分の思いがどうであろうと神様は
働いてくださっているのですから
それを私がやることによって
私が受ける恵みは物凄く大きいですし
用いられることには感謝なのです
しかし 若干アンニュイになっていたら
神様から示されたことがありました
イエスさまが40日の断食の後に
悪魔の試みに遭われたとき
ただ黙れ 出て行けと言わずに真理を語った
そのことに力があった敵があなたに挑んできても
真理によって完全に敵を締め出して
あなたの名が天に刻まれていることに感謝しなさい
このことを聞いた時に 涙が出る思いがしました
そうか 用いられている人に対して
何かをしたわけではなく
その人の言葉に乗ってこちらへ来た
背後の霊に対する戦いだったのか
と 思ったらとても気が楽になりました
人のことではなく自分のことであるなら
そりゃ言わざるを得ません
正直 その人から出て行ったかどうかは
ある意味本人次第であるわけですが
少なくとも私からは出て行って それは
神様の勝利なのだ と思いました
それがどういう意味であるかは
私にはわかりませんけど いずれにせよ
自分が遣わされたところに行くだけなのです
全ての良いことの栄光を神様にお返しし
自分の名が天に刻まれていることを
本当に 感謝したいと思います❤