自由を神様のために使う

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先日のPower and Loveでトッド・ホワイト師が
日本の偶像の正体は知恵知識に頼る霊
と言っていましたが 神様が
その詳細を教えてくださいました

聖書にはたくさんの教えが書かれています
イエスさまを主として受け入れた者は
イエスさまの教えや命令を 自らの意思で
守るということが書かれています

大好きな人が喜ぶことをしたい
大好きな人が悲しむことはしたくない

そのよう思って 自らの意思で
神様を愛することを選ぶことが
心を尽くし 思いを尽くし 知力を尽くして
あなたの神である主を愛せよ ということです

そのように思うためには まず
神様の愛を受け取ることが先です

神様は生まれた時からあなたを選び
愛してくださっていたということを
知った結果として神様を愛し始めます

また イエスさまは明確に「命令」として
互いに愛し合うことを言い残されました

何故なら神様が先に私たちを愛してくれたので
その愛を現わすことで神を現すからです

そして何より これらのことは
頭での理解ではなく感情の領域
思いの領域で行う話なのです

もし神の愛を受け取っていないのに
神様の命令に従おうとするなら
命令を実行出来ないどころか
偽善となってしまいます

神様の愛を知りたい
神様がどのような者として自分を見て
愛してくれているのか知りたい
そういう飢え渇きを持つことが
まずは重要であり

神様の命令に従ったら良いことがある!
というような思いで聖書や
聖霊に従おうとすれば
本質からずれてしまうのです

人の悟りによって行うことを
イエスさまは
口では神を愛していると言いながら
心は離れている という表現をしています

これはパリサイ人に向けられた言葉ですが
自分の悟りに頼る全ての人に向けられており
イエスさまは このような態度を
呪われた偽善者であると断罪しています

この「人の悟りによるもの」こそが
知恵知識に頼る偶像崇拝の正体なのです

この人たちの特徴は
パリサイ人の特徴と似ています

表面的には聖書に従うのですが
実際に奇跡を起こす人が来ると迫害をして
人々が神の国に入ることを邪魔します
そして形骸化した教えや
スタイルを重んじるのです

これは 奇跡や預言 啓示といった
聖霊様の働きを否定するクリスチャンが
陥っている状態であり 一番困るのは
奇跡を求めたり神の国を求めたりする人を
迫害してしまうことです

霊的戦いはクリスチャンの中にこそ多いと
言われる所以でもあると思います

こういったものも問題であるわけですが
対局に イエスさまの教えに反抗する
霊というのもまた存在しています

私が知る範囲だけの話ではありますが
聖書の一部は信じるけど一部は見ない
或いは一部を自己解釈して
新しい教えにしてしまう
という態度をとる人の全員が

偶像崇拝 占い スピリチュアル
自己啓発 哲学など
神の教えと違う教えに頼ったり
被害に遭ったという経験を
持っていることに最近気付きました

私の知る範囲など たかが知れていますが
それにしても全員が全員そうなのです

聖書を用いたカルトは ほぼ
そのパターンであると聞いていますから
共通の霊なのかもしれません

例えば イエスさまは
罪を背負ってくれたのだから
罪を犯しても赦されるといった考えは
完全に聖書に反する間違えた教えです

聖書には「神を愛していれば
神の命令に従います
だれでも行き過ぎをして
キリストの教えのうちに
とどまらない者は 神を持っていません」
と書かれています

彼らの言い分は
聖書の教えだからといって
それを守るかどうかは自由であり
やっていないからといって
苦言を呈されるのはコントロールだ

なのですが
面白いぐらいに異口同音に
同じことを言います

このタイプの人は
上述の知恵知識の霊とは
大変相性が悪く

その様子はまるで親子の衝突のようで
愛により偽善を押し付ける親と
自由と混沌を勘違いしている子の図式であり
放蕩息子の兄と弟の構図です

兄の側でも弟の側でも
神様から心が離れた者には変わりはなく
父を愛し 父の心を知ることが
神様から求められています

尚且つ 兄と弟では
人生のテーマが違います

兄は 後から来るものが同じ恵みを受けても
嫉妬したり文句を言ったりせずに
恵みを相続する者として父の心
愛を学んで欲しいと教えられます

対して弟は 恵みを受け取る約束を
利用して自分の好きに生きてその恵みを
すべて失うようなことがあっても
命までは失わないように

必ず立ち返り 決して
罪を犯したまま死なないようにと
教えられるのです

しかしここまでは 聖霊様を持っておらず
例え話でしか聞けない人向けの話です

言うなれば前置きであり
神様と共に歩くことを
決めるまでの過程の話です

お父さんの心を知り
お父さんのようになりたい

そう思った時 神様と共に歩く
本当の人生へと入っていきます

でもそれは自分の悟りでは
無理だから聖霊様が欲しい!
と切望すると聖霊様が貰えます

聖霊様を受け取ってはじめて
神様が作られたイメージを
神様と共に歩くことが始まるのです

ユニークでクリエイティブな神様に
どっぷり漬かった エキサイティングな
人生を歩むことになります

この時点では 全ての霊から解放されて
自由になっていますから
思う心も自由であり 個性的です

例えば 自分のリーダーが
とんでもないことを指示してきて
なにそれ納得いかない!と思ったとします

その時に 本当に聖霊様に
満たされている人であれば
すかさず聖霊様に耳を傾けます

人によっては傾けずとも
聖霊様から語って来られる場合もありますが

その時に聖霊様が
リーダーが言うことは神様の御心だから
リーダーの言うことに従いなさいと語られるか

リーダーが言っていることは肉の思い
神様以外を根拠に言っていることだから
聞いたふりをして この様にしなさいと
折衷案を語られるか(そういうこともあります

あなたの自由にしなさい
と語られるか

今は考えずに保留としておきなさい
あとでわかるから と語られるか

この件について〇〇さんに
相談しなさいと語られるか

それはわかりません
ケースバイケースです

何で今それをやるの?と
思うようなことを
示されることもあります

お茶を飲みなさいとか
肉を食べに行きなさいとか
歌いなさい喜び踊りなさいとかが
私の場合は多いですが

鈴を鳴らしなさいとか
行ったこともない土地を示され
ここに行きなさいと
言われたこともあります

生ける神との関係とは
そのように 本当に
生きたものなのです

しかし 自分の心の態度が
何かに支配されていたり
心が頑なであるうちは
神様との関係に入ることが出来ません

こんなの言うこと聞く必要ないですよね!?
私はこう思うんですけど!
神様ならこう言ってくださるはず!

というように 自分の思いで
武装しているなら
聖霊様は語ってくださらず
そういう領域では奇跡は起きません

また 迷いや恐れがあれば
敵の嘘が投げ込まれて混乱します

様々な否定的な思いや嘘や怒りが来て
それを自分の思いとして掴んでしまえば
神様の声に心を向けるのが
更に困難になってしまいます

心をびしっと神様一点に
絞れるようになるまで
この霊的戦いは続きます

自分の中から自分の思いや敵の嘘を
締め出して 神様の平安に留まることが
求められ その手段として
断食と祈りが必要なことがあります

心の態度や状態が悪い時 神様は
心静かに神様に心を開いて
きちんと聞けるようになるまで
待ってくださるのです

聖霊様との関係構築は
とても大切ですし
多分これこそが一生続く
訓練なのだと思います

知恵知識に頼っていても
生きた神様との関係は築けません

神様は 奇跡を起こされる時は
リスクを伴うことを示されます

ノアに 方舟を作らせたり
モーセにエジプトの王の元に送ったり
またぺテロがたくさんの魚を
捕ったときもそうでしたが
人から非難されたり笑われたりする
リスクを取らせています

それが神様の示し レーマであるかどうか
正しいだの間違えているだの
「ジャッジ」しようとしても
人にそれは出来ません

ノアが受け取った 洪水を
誰が予測出来たでしょうか

モーセが神様に選ばれたことに
納得せず文句を言う人もいました

先日のロビー牧師のお話にあった通り
真っ昼間に漁をしに沖に出て
マナー違反である「網を反対に下ろす」
ことを ぺテロは実行したのです

誰が 彼らがやったことを
人の知恵知識によって正しい正しくないと
ジャッジ出来るでしょうか

無理なのです

「ジャッジ」は日本の偶像の正体である
知恵知識を崇拝する霊による嘘であり
神様のレーマを手放させるための
攻撃であることも多く
ユダヤ人はその故にイエスさまを
最後まで認めませんでした

そのレーマが本物かどうかは
レーマとセットで信仰を受け取った
本人にしかわかりません

聖霊の声を聞いてない人は
良い実を結ぶかどうかでしか
見分けることが出来ないのですが
霊によって盲目にされていると
その「良い実」すら見えなくなります

しかし 聖霊を受けて 顔の覆いを
取られた私たちはそうではありません

神様からの信頼がある領域では
それがレーマであることも教えられ
聖霊による一致を見ることも可能です

心ではその内容に抵抗感があったとしても
神様を選ぶ自由があるのです

しかし恐れの霊や 過去自分が
影響されていた霊の配下に下る自由も
残念ながら 持っているのです

支配はされていませんが
自分でそこに逃げ込む自由がある
これは残念ながら真理なのです

聖書には あなたの過去だけが
あなたを神から切り離せることを
示唆していることには
心を止めなければいけません

ローマ人への手紙8章38-39節
私はこう確信しています。死も、いのちも、
御使いも、権威ある者も、
今あるものも、後に来るものも、
力ある者も、高さも、深さも、
そのほかのどんな被造物も、
私たちの主キリスト・イエスにある
神の愛から、私たちを
引き離すことはできません。

今あるものと 後に来るものは
私たちを引き離せないのですが
過去にあったものが神の愛から
私たちを引き離せないとは
書いていないのです

だから神様は 互いに励まし合う
兄弟姉妹を与えて
乗り越えられるように
導いてくださるのです

心を尽くし 思いを尽くし
知力を尽くして
あなたの神である主を愛せよ

この命令を本当に守ろうとするとき
敵の懐に逃げ込むこと程
間違えた選択はありません

あなたを創造し あなたの成長を
にこにことご覧になっている方は

あなたが知恵知識の霊により個性を失ったり
混乱の霊により人生に破滅を招いたり
人を恐れてよい子でいようと
したりすることを全く喜ばれません

あなたの性質 本質を知り尽くした方は
あなたにわかるように愛を注ぎ
あなたが歩きやすいように道を開かれます

あなたを本当に失いたくないから
時には懲らしめることもありますが
それが愛であるとわかるようにされます

神様は愛であるというところから
神様は外れることは決してない

そして 神様が与える平安は
この世のどこにもありません

その平安によって 私たちは
神様のうちにいることがわかるのです

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