権威を用いる者の心得

昨日 人と話をしていて
ああ こちらが言わんとすることが
全く伝わっていないなぁ と思ったことが
何回かありました(それぞれ別の人です)

伝えたかったことというのは
使う言葉の大切さです

権威を用いる立場となれば
それ相応の言動が求められてくる
ということを理解せずに
混乱を呼び込む言葉を使えば
その影響は周囲に及びます

平たく言うなら

信号無視をしているところを見られた警察が
信号無視の取り締まりをしても
「おまえもやっていただろ!」と逆に
相手から責められるわけです

それでも権威はありますから
自分のことは棚に上げて 黙れ!と
言うことは出来てしまうのですが

霊の世界においてそれをやってしまうと
神様の権威を使うことは出来なくなります

聖書の中に 悪霊を追い出せなかった
弟子の話が出てきますが
敵の霊に支配された人には
敵の霊を追い出すことが出来ないのです

ちなみによくクリスチャンの間で
霊的戦いという言葉が使われますが

今朝 神様がその件について
明確に書くようにと示されたことがありました

それは 霊的戦いというのは
「あなたが自分で敵と戦うこと」ではなく
「神様の方を向くことを邪魔する敵の誘惑に打ち勝ち
神様の方を見て 神様が何をしているかを見て
それを行うことによって栄光を現わすこと」だ

ということでした

上述の通り 霊の世界においては
自分自身が罪を犯しているうちは
権威を用いることは出来ません

何故なら罪を犯している段階で
罪の奴隷 敵の支配下にいるからです

しかしクリスチャンはもう
イエスさまによって解放されているので
自分の選択で神様を選ぶことが出来ます

ところが 敵の挑発や誘惑に乗って
噂話や批判 裁く言葉を使い始めたら
自ら敵の支配下に入ることを選ぶことになり
その時点で 神様に背を向けて
敵に力を与えることになるのです

言葉は力です

自分の思いが責めたとしても
神様 自分は納得できません!と思ったとしても

そういう自分を制して聖霊の囁きに耳を傾けて
聖霊に同意をして言動すれば
神様の栄光が現れるのです

しかし聖霊様が語ってくださるかどうかは
「本人が求めた場合に限る」ことも
忘れてはいけません

悪いことを思っても 口に出したり
行動しなければ敵に加担しないように
聖霊様は守ってくださいますが

しかし今は罪を見逃してください
私は自由にやりたいのですと言えば
神様は 放蕩息子を送り出したように
送り出してくださいます

ここは 大変注意をするべき点です
人が願えば悪いことでも起きるのです

放蕩息子が出て行った先は
誘惑と破壊しかありませんでした

神様はそのような場所でも
ちょっと放っておいてくださいと言えば
黙って送り出してくださるのです

そうやって神様が黙っている間も
敵はいつでも嘘を投げ込み誘惑をしてきます

欲に生きたい人にとって この世は
破滅を伴った自由な場所に見えます
しかし実際には 敵の手のひらの上で
踊ることになるのです

敵は 人の欲をよく知り尽くしており
思いを投げ込み 同意を求めます

神様は本当にそれを言ったの?
本当にそれをやってはいけないって言ったの?
大丈夫だよそれをやっても
むしろ神様に近づけるよ

そうやって人を「人の労苦によって
生きなければいけない方」要するに
罪人としての生き方へと誘います

蛇の手口は昔から変わっていません

対して 神様は人を支配しません
あくまでも自由意志に任せます

子どもの内は訓練をして貰えるかもしれません

しかし大人になってからは
義を求めれば義を与えてくださるし
不義を求めれば不義を与えてくださいます

何が善で悪かは聖霊様が教えてくださいますし
まだ知恵知識が足りない時には
聖書を読みなさい と示されたりもします

ですが いいよそういうのは
財産だけ頂戴 好きにやるから と
出ていくことも可能です

良い実を結びたければ

自分にとって耳が痛いことでも
きちんと聞きますからどうか聖霊様
語ってください とお願いをするのが一番です

本当に 語ってくださるようになりますから
覚悟があり心がある人は ぜひ祈ってみてください

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