人は見るものに似る

今日は 色々と思い巡らす中で
神様が真理に妥協しないことの
大切さを教えてくださいました

幸いなことに 私たちの教会は
聖書に書いてある通りのことを
求める人たちから学んでいます

聖書にはこう書いてあるけど
実際はこうだ という風に
自分達の間違えに寄せてはいけない

ということを事あるごとに
聞かされてきました

要するに 聖書に書いてある通りに
物事が起こらないなら 原因は
私たちの方にあり 聖書の真理は
決して変わらないということです

もし 聖書に書かれていないことを
信じるのであれば それはもう
違う信仰を持っているということになり

聖書以外を信じるのであれば
ましてや 自分はこう思うから
それを信じるというのであれば
自分を神とする偶像崇拝です

人には自由が与えられていますから
偶像崇拝をするのも自由です

しかしそれによって真理が
変わることはありません

神の国の義を第一にするものは
望むものを全て得る ということが真理なら
自分の考えを第一にするものは
望むものを得られないことになります

イエスさまを信じる信仰の他に
命を得る方法はないことが真理なら
自分を信じることでは
命が得られないということになります

私たちは 神様の子どもです
子どもは子どもらしく
親を見て育つ方が幸せです

地に落とされた堕天使たちは
自らが神となると言ったのです
自らを信じることは
誰に似た性質でしょうか

自分は誰を見て生きるのかは
強い意思を持って選ばなければなりません

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