神様の次元を見るものになる

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今までの日記で何度か書いていますが
同じ事をするとしても 神様に委ねて
神様の権威に守られてやる時と

そうでない時 具体的に言うと
自分の思いや 今までのやり方で
やる時とでは全く違う その理由は

自分が何を頼りにしているかという
霊的背景にあります

仮に 神様から「これをやりなさい」と
レーマ(啓示)を頂いたとしても
やらないと恐ろしいからやろう
と思ったら霊的背景は
臆病の霊になってしまいます

また 同様に
よしこれをやれば自分の欲や願いが
満たされるんだな と思ったら
霊的背景は貪欲の霊になります

神様のご性質から離れた要素や
神様が言っていない要素を決して
追加してしまってはいけないのです

神様から何かをやりなさいと
示されたときには
よくわからなくてもやる
というのが正解です

ぶっちゃけ こんなことは
やる意味ないと思うけど
でもあなたがおっしゃるならやります
でいいのです

「ただ 神様が言ったからやる」
ことが物凄く大切であって
自らの思いで その霊的背景を
神様以外のものに結び付けて
自分のものや敵のものにしたら

折角頂いた神様のレーマを
敵に盗ませてしまうのです

はっきり言えばそれは罪となります
ですが罪自体はイエスさまが
既に背負ってくださいましたから
それにより咎められることはありません

しかし 自分のやったことは
良いことであれ間違えであれ
結果を刈り取ることになります

折角 神様からレーマを頂いても
罪により敵に盗ませてしまえば
そこにあった恵みと祝福は
敵のものになってしまうのです

このことを聖書では
誓ってはいけない という
表現で書いています

マタイの福音書5章37節
だから、あなたがたは、
『はい。』は『はい。』、
『いいえ。』は『いいえ。』
とだけ言いなさい。
それ以上のことは悪いことです。

私たちには誓ったことを
必ず為し遂げるだけの力はなく
仮に誓ったとしても 神様の
御心でなければ成就しません

誓っても 為し遂げることが
出来ないのであれば
罪になってしまいますから
ただ「はい」「いいえ」だけ言い
誓ってはいけないと仰ったのです

勿論 神様がやりなさいと仰った時に
霊で ああこういう意味で神様は
やりなさいと仰っているんだな と
受け取ることが出来るなら
それはそれで良いのですが

もしわからなくても
自分であれこれこねくりまわしたり
自分の次元に引き下げて
理解しようとしないように気を付けましょう

敵の思惑は勿論ですが
人の思惑や解釈が入った途端に
神様の守りから出てしまいます

ただ素直に行動する中で
神様が どれ程に高い御心をお持ちで
どれ程に大きな愛と御恵みと御力を
お持ちであるかを知るのです

それを知ることだけが素晴らしく
それ以外は本当に
つまらないことであると思います

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