背後の霊に支配されない

今朝 過去に感じていたもやもやを
吹き飛ばしてくれるような知恵を
頂くことが出来ました

そのきっかけとなったのは夢なのですが
ある人物が 私が無料で貰えると
思っていたものを手に取った時に
ダメだよ それは今まで無料だったけど
今度から有料になったんだよ と
ある人から指摘される夢でした

それまでは無料で貰えていたのに
有料になったことを知らなかったことを
指摘された というだけの事なのですが

その人の言葉から
あなたは悪いことをしている という
罪の指摘をされたような気分になり
イラッとしました

そんなの知らされてないのに
悪人みたいに言われる筋合いはない
という思いや

今まで無料で貰えていたのに
その権利を取られた というような
ネガティブな感情でした

しかしその直後に いや待てよ
この人は別に私を責めたわけでもなく
ただ事実を話しただけでしかない
何故こんなにイラつくんだ?と
「何かがおかしい」ということに
気が付きました

何より 色々思い巡らせてみると
もしこれを他の特定のに言われたなら
別にイラつくこともないどころか
むしろ感謝するような人もいれば
ちょっとうっ と思うけど
飲み込めるな という人もいました

要するに 人によって違うのですが
「言い方や言い回しの問題ではない」
ということに気が付いたのです

そうではなく その人が
どのような信仰を持っているかが
そのまま反映されるのだと
気が付きました

神様からとっても愛されていて
良いこと悪いことの分別は
ぜーんぶ聖霊さまが教えてくださり
子どものように素直にそれに
従う心を持った人であれば

同じシチュエーションだったら
と想像してみたら
喜びと感謝 それから
守って貰えたことへの
くすぐったさまで思い起こされました

また いつも神様からの示しに
抵抗してみては折れて 結果として
恵みを得て神様に感謝している
という人に 指摘された経験を
思い起こしてみると
うっ と思うけど神様により
納得する という体験をしました
(これは実際の話として体験しました)

それで気が付いたのです

イラッとした相手は いつも
敵の嘘に同意をしたことを
口に出して言う人で
行動の動機が「欲」なのです

そして 自分自身を
一番に信じている人でした

その人が何を信仰しているか
どのように信仰しているかしているかで

その人の言葉に 背後の霊まで
一緒に送ってくるのです

それを受けた側は 勿論
その背後の霊に影響を受けますが
何を掴むかはその人次第です

そして 成熟したクリスチャンは
その人と背後の霊を切り分けて
神様の憐れみと真理をその人に注ぎ
神様がレーマを与えてくださり
それを注ぎ出す時に
敵がその人に留まれなく出来る

敵が留まれなくなると
それまで「自分の思い」だと思っていた
自分に対する絶対的な信用や
欲に対する執着 敵の嘘が
突然消えて無くなるのです

それは 正に解放の時で
あれ なんでこんなことに
時間を取られていたんだろう?
と思い 次の瞬間には
全く忘れてしまうのです

敵の嘘に騙された人の言葉を聞くのは
正直言うと かなり好きではありません
出来れば一生関わりあいなく
生活出来たらどれ程幸せかと思う

ですが 人の内に隠された
嘘を引き出して 光を当てなければ
解放はないのだとも思います

であるなら 嘘の言葉を聞いたときに
それに影響を受ける者になることなく
光を当てる者とならなければならない

その為には 自分自身が
自由である必要があるのです

解放が 人の知恵に依らず
神様の方法で 起きていくなら
その人は神様の証人となる

証人となった人は
周囲に自分が体験したのと
同じことを起こしていくようになる

だから やっぱりまずは自分が
どんなしがらみからも解放され
自由にならなくてはいけないな

と 心から思うのでした❤️

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