全てを益と出来る神

今日は 昨日までの検査結果を聞くため
病院に行ってきましたが
結局 子どもの頃からずっと
悩まされ続けてきたことが
炙り出されたということがわかりました

結論を言えば 血栓や動脈硬化などは
見られないが 強いて言えば左前頭葉が
ほんの少し血流が悪いかもしれない

というもので 幼い頃はずっと
左前頭葉の頭痛に悩まされたことを
思い出しました

母曰く 産まれるときにバキュームで
引っ張り出したから その時に
傷付いたのかも ということですが

以前 預言的に祈ってもらった時に
それは敵の仕業だと言われたことがありました

敵がやったことであるなら
その嘘を手放し 神様の癒しを
掴みます と宣言したものの

この頭痛の故に幼い頃から
重ね続けて来た怒りが
相当に蓄積していることを感じました

元々身体を動かすことが好きだったのに
頭痛の原因になることがわかり
運動を好きに出来なくなったこと

あまりに頻繁に頭痛を訴えるので
父親にサボっていると言われたこと

病院に行っても頭痛の原因がわからず
薬を出され過ぎて蕁麻疹まで出たこと

その上で医者から運動をしないように言われ
急に身体を動かさなくなった直後の数年は
身体の酷い痛みとアレルギーで全く動けず
ほぼ寝たきりになってしまい
親から このまま死ぬんじゃないかと
言われるほど酷い有り様でした

身体を自由に動かせないことの
やり場のない怒りにたくさん泣いて
諦めがつくまでその苦しみは続き

医者から(サボっている 嘘つきだと
言い続ける)父親から引き離さないと
本当に(ストレスで)死ぬよ と助言されて

独り暮らしを始めると
やっと体調に回復の兆しが
出始めました

今でこそ それが偶像の嘘で
精神が弱くいつも恐れに囚われていた
父が それに同意して口に出していたと
わかりますが

真理を知らず 口を守れない人が
近くにいると その言葉で
本当に殺されてしまうのだと思います

父の弱さを赦す祈りは
クリスチャンになってすぐの
テーマでしたが

そのような 敵の嘘を鵜呑みにして
心無いことをいう人は巷に溢れており
聖書の神を知らないことは本当に恐ろしく
生き難い世界であると思います

話を戻します

独り暮らしを始めた後は
学んだわけではありませんでしたが
食べると気分が悪くなるレトルトや
添加物が入ったものや
砂糖や悪い油が入ったものを
徹底的に避けるようになりました

ケーキやお菓子なども28で
結婚するまで一切口にしませんでした

今でこそ それらが身体に悪いことや
アレルギーの原因になることは
有名な話ですが 私の場合は
体験から学んだもので
知識は後からついてきました

山で無人販売で売っているような
野菜を中心にした バランス良い
食生活を始めると
みるみる体調は良くなりました

貧血があったので肉は欠かさず
食べるようにしていたのも良かったので
本当に 全てのマイナスが益になっていました

また ネガティブで聞いているだけで
気分が悪くなるTVはすぐに
捨ててしまいました

当時 オーム事件があったので
正に偶像から出る騒音が毎日のように
TVから流されていたのです

普通の人が 普通に受け入れていることを
私は自分の人生から排除していきました

そして 自分が出来ること
得意なことを活かして
奇跡的に人と繋がっていき
仕事も頂くようになりました

ですが 本当に「普通の人」とは
会話が全く成り立たないレベルで
交流することが出来ませんでした

特に 陰口を言うような人とは
裏で自分も何を言われるか
わかったもんじゃないな と思ってしまい
絶対に近付かなくなりました

しかしネットには 同じように
「普通」の関わりが苦手な人たちが
たくさんいて たくさんの友人が出来ました

元々 中高生時代はイベント企画をしては
みんなで遊ぶことが当たり前だったので
ネットの友人たちともそのように
仲良く遊ぶようになりました

親からは解ってもらえず
孤独で寂しくはあったけれど
反面教師だったし

幼い頃から無料で学ばせて貰えた
パソコンのお陰で友人はたくさんいる

実社会では生き難いけれど
必要は全て与えられていて
本当に自分は神様に愛されている
と 信じて疑わず

どこぞの神様かわからないけど
神様 本当にありがとう と
日々感謝をして生きていました

その後 私こそがその感謝の対象だという
偽物にたくさん出くわすという
不愉快な思いもしたことはしましたし

運動が出来ないということや
アレルギーのために食べられるものが
制限されるということで
仕事の人間関係においても
不愉快な思いをすることは
多くありました

しかし 技術があり 基本的に
案件毎に契約をするスタイルでの
お仕事が殆どだったので

愛のために忍耐をするということは
全く避けてしまっていたのが
クリスチャンになって一番
反省し 悔い改めたことでした

最も 親のことだけはずっと
祈り続けていましたが
クリスチャンになり悔い改めてからは
親のことに限らず どんな状況にあっても
神様への祈りに解決を求める人生になりました

今までだったら絶対に避けていたような
産みの苦しみを感じるような出来事が
たくさんありましたが

それを感じる度に 私はそれを
避けて来てしまったんだと感じ
神様と共に逃げずに向き合えることに
感謝をするようになりました

クリスチャンの素晴らしいところは
必ず神様からの答えがあることです

解決 ではありません
回答が必ずあるのです

離れるべきものからは離れるよう示され
祈るべきことは祈るように示され
愛することにも それが
神様のみこころに叶う愛なのか
それとも自分自身の間違えた動機かを
深いところまで示されるようになりました

本物の愛の源である方が
私たちを造られたことは
本当に 感謝なことであると思います

母は 心配からあれこれ
やり過ぎて その「やり過ぎ」が
私の体調を悪化させていましたが
心配を動機とした行動が
罪となるのであれば理由はわかります

愛されていることはわかるけど
心配が動機の行動は全て罪であり
罪が結ぶ実は死なのです

その真理の通り 母の心配による介入は
命に関わるレベルでしたから
本当に止めてくれと突き放すしかなく
愛を受け取れないという罪責感にも
悩まされることになりました

母のことも クリスチャンになってすぐの
祈りの課題でしたが

真理を知るようになり
それを母に伝えるにつれて
母自身が悪いものから解放され

母が 本来の愛を流してくれるようになり
私もそれを 素直に受け取ることが
出来るようになりました

真理は人を自由にする
という言葉は真実であり
聖書の神様は本当に全てを
良くすることが出来る方です

この世界や人を造られた方は
何が私たちを幸せにして
何が私たちを不幸にするかを
定められた方なのだから
当然と言えば当然なのですが

神様は 我こそ次の神だと言って
地に落とされたものたちに対し

ご自身に似せて人を造り
神様の前で昂らない者に
存分に恵みを注ぐことによって
ご自身の素晴らしさで地を
覆うことをご計画されました

私たち人が 神様の恵みを受け
感謝して神様を賛美することが
神様の喜びであり望みなのです

全てに報いてくださる方は
今日 私にこう仰有いました

人には怒りを持ち続けることは出来ない
己の炎で焼き切れてしまうから

妬み 裁き そういったものは
全てわたしが引き受ける

あなたはわたしを宥める者である
あなたは自分という器以上のことは
望んではならないし 望まされてもならない
あなたはわたしのものだから

あなたが敵に目を取られるようでは
先へと連れていけない
わたしだけをしっかり見ていなさい

強くなれ 雄々しくなれ
わたしはあなたと共にいる

わたしが居れるところに
あなたが耐え得ないなら
どうしてあなたを連れていけようか

後半は りゅうくんが読んで
はい と返事をしていましたが(苦笑

自分の器以上を望んではいけないというのは
欲や 誘惑に負けて 自分がやるべきこと
以外のことに時間を割くことがないように

という意味です

神様は本当は人に知恵を
与える予定ではありませんでしたが
人は 罪により知恵を得てしまったので
その実を刈り取ることが人に課せられました

罪の報酬は死です
自らの知恵により人は死ぬのです

であるとするなら
生きることを選ぶということは
自らの知恵に頼り
死に向かうことを止めることです

今 自分の中で 神様から
方向付けをされつつも
自らの知恵に頼ってしまいがちで
神様にどのように委ねればいいか
わからずに苦心していることがあります

長い間 自分だけを頼りに
生きてきてしまうと
こういうところで苦労があります

パウロが書簡で言っていますが
今まで益と思い身に付けた知恵知識は
今や 邪魔なものでしかありません

ですが 今までの体験から
そのマイナスすらも神様は
益にされる方であることを知っています

自分の人生のあらゆる領域において
神様に 栄光をお返しすることが
出来るようになりますようにと祈ります

悔い改めというのは 神様の方を向くことです

罪を悔いて終わるのではありません
改めて神様の方を見る時に
自分の失敗が覆されるほどの
神様の栄光が 地に現れるのです

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