内にある要塞を打ち砕く

今日は 朝からりゅうくんが
主をおそれるとはどういうことか
とあれこれ頭を悩ませていました

恐怖感を抱くということではなく
恐れ畏む というニュアンスですが
神様恐くないよ良い方だよ
これって神様を恐れてないのかな?

というノリのようなので 客観的には
微笑ましいとしか言いようがないのですが

いや その通りなんだけどね?と言いつつ
どう伝えたものかと私まで
頭を悩ませてしまいました

神様を怒らせたら怖い と
恐れることは恐れの霊だよ

この方を愛しているから
この方の喜ばれることをしたい
喜ばれないことはしたくない
と 思うことじゃないかなー

等々 色々と話をしているうちに
忠誠心についての話になったのですが

ふと 自分の考えを言った瞬間に
「おかしなものの存在」を感じ
これは私の内にある敵の要塞だ と
はっきりと気付くことが出来ました

敵の要塞というのは
敵が言うことに対して
同意をし続けることにより
自分の中に 敵が入り込む隙を
作ってしまうことを言います

その要塞は 人格のようになってしまい
普通は壊すことが出来ませんが
それは 表に出ることで光が当たります

そして クリスチャンには
それを壊す権威が与えられているのです

私が 神様に示されてfacebookに
普通なら絶対に人に言わないような
ぼやきを書くように示されて
渋々書くと すぐに解決が与えられたのは
こういう理由からだったのです

表に出され 光さえ当てれば
敵は逃げていくのです

先日 広尾でその事を学んだときに
私たちの中に敵の要塞があったら
そこに光を当ててください!と
祈っていたのですが

これがそうだよ と思いました

少し考えて 今までの自分の考えを捨てて
神様ならどうしなさいと仰有るかと
神様に 意識を向けました

そこで示された 自分の今までの考えとは
真逆のことを宣言すると
変なものは出ていき 要塞が
砕かれたことがわかりました

何故わかったのかというと
何だって今までその思いに
捕らわれていたのだろう と思うほど
気持ちが柔らかくなったからです

私の内にあった要塞は
もし自分の遣える人が
悪いものに冒され
豹変してしまったらどうするか

というものでした

私がどう思っていたかは
敵の嘘ですから書きませんが
神様は その者を追放して
孤立させるよう示されました

人というのは 人数が集まると
その心の良し悪しに関わらず
力を持ってしまいます

それを分断するのは神様の為さることで
バベルの塔を建てていた人たちは
言語を分けられ散らされました

そうやって 分断して
協力出来ないようにするのです

だから あなたは背後の霊を見て
それが正しいかどうか見極めて
もし 悪いのであればそこから離れ
わたし(神様)だけに遣えなさい

背後に悪があるとわかっていながら
忠誠を尽くし共に死んではならない

と 神様は仰有られました

そして同時に

もし 悪いものに冒されても
孤立して 悪いことが出来なくなれば
もしかしたら目が覚めて 主に
立ち返るチャンスもあるかもしれない

だからこそ 心を鬼にして
悪に染まったものは切り離すべき

という思いも与えられました

この事は 尊敬の文化を教えてくださった
ダニーシルクの 愛し続けなさいという
書籍にも書いてあることです

もし 息子が悪い友達と付き合うようになり
麻薬をやったり家のお金を盗んだり
家に悪い友達を連れ込むようになったら
愛をもって 家の鍵を取り替え
その友達と別れるまでは
家に入ってはいけないと言います

悪いものと妥協して共存することは
決してあってはならないことなのです

勿論 人は自由なので
それを選択することも自由です

しかし 神様が最も忌み嫌うことを
やりながら 神様に愛を語るものの
供え物を神様は 受け取っては
下さらないのです

神様が忌み嫌い 悲しむことをしながら
愛してる と言うことが出来るでしょうか

徹底的に自分の内から
神様の嫌うもの 御国に
相応しくないものを焼き尽くして欲しいと
本当に 心から 切に願うのです

いつも神様の喜びに
満ち溢れていますように❤️

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