信仰には願いが伴う

昨日の日記に書ききれなかったことで
とても大切なことを書きたいと思います

信仰について 聖書には
この様に書かれています

ヘブル人への手紙11章1節
信仰は望んでいる事がらを保証し、
目に見えないものを確信させるものです。

また 別のところにはこのように
書かれています

ローマ人への手紙10章17節
そのように、信仰は聞くことから始まり、
聞くことは、キリストについての
みことばによるのです。

神様が示されたら それを掴み
絶対にそれが起きると信じること
それが信仰です

しかし神様は 私に何度か
あなたはどうしたい?と
尋ねることがありました

神様は ご自身の言い送ったことだけを
現実のものとしてくださるばかりではなく
私たちに 何を望むのかと尋ね
それが神様のみこころにかなうなら
与えてくださる神様なのです

ヨハネの福音書15章7、8節
あなたがたがわたしにとどまり、
わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、
何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。
そうすれば、あなたがたのために
それがかなえられます。

あなたがたが多くの実を結び、
わたしの弟子となることによって、
わたしの父は栄光をお受けになるのです。

この約束には条件があります
それは神様の義に生きるということです

聖書にある様々な戒めは
それにより天国に入れるという
約束なのではなく

義に生きることにより 願うこと
祈りが叶えられるという約束であり
それによって神様の素晴らしさ
栄光が地に現れるのです

今回のセミナーで語られたことは
冒頭の ヘブル人への手紙だけでしたが
それを聞いたとき 私の中で
絵について何も具体的に
望むことも願うこともしていない
ということに気が付きました

どうも私には賜物があるようだ
みんなもそう言ってくれる
賜物があるからこそ 神様と出逢う前に
霊的攻撃を受けて負けてしまった
でも 神様がいる今 もう負けたくないし
勝つべきだ
そして神様に用いてもらいたい

という思いがあるだけで
具体的に自分がどうしたいかとか
どうなったら勝利なのかとか
何も考えていなかったのです

神様は そこに希望を持つこと
自分でどうなりたい と
イメージすることを願われているように
感じたので それを祈りましたが

この願い イメージを超えたことを
神様が用意されていると期待します
と 最後に付け加えました

実際 私が何かを願い それが
完成することは大したことではなく
神様がどのようにそれを
用いられ 大きくしてくださるか
の方が私にとっては関心があるのです

早く神様の素晴らしいことを見たい!
と思っていたわけですが
その為には私も具体的なイメージを
持たなければならなかったのでした

その話をりゅうくんにすると
こうなるといいね と
プラスアルファの希望を
加えてくれました

きっと他の人に言えばそこでも
何かが足されるような気がします

無理に自分で計画を立てなくても
そうやって たくさんの人の
希望を足していって祈ることも
素敵なことであるように思いました

信仰で 絵による建て上げと
真理による解放がたくさん
伝播していくことを信じて

神様がなさろうとしている
素晴らしいことに期待したいと思います❤️

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