神様が整えようとしていること

りゅうくんが洗礼を受けた後か
結婚をしてすぐぐらいの時に
神様が 私にとってのこの結婚は
りゅうくんと遊ぶためにあるんだよ

ということを示してくださった
ことがありました

遊ぶための結婚ってなんだー?
と思っていたのですが

よくわからないけど 色々なところに
行ってみたいね ということだけ
なんとなく共通の意識として
持っていました

以前からずっと考えてはいましたが

先日 キャリアカウンセリングを受けて
改めて自分の働き方やキャリアを考えた時に

本当の自分のやるべき仕事
神様から与えられたものは
一体何なんだ ということを
結構真剣に思い悩んでいました

仕事に対するプロ意識というのは
どんな職に就こうとも強く持っており
やるからには自分に出来る最高の
仕事をしたいという思いがありました

結果 どんな仕事でも人より出来てしまい
責任ある仕事を任されるようになります

ですが そこからが問題なのです

好きでもないのに極めたことは
責任を背負いながら続けることが
苦痛になってしまうのです

更に言うと 好きでやっている人には
全ての面で絶対に敵わないことは
最初からわかっているので
さっさと手を引いてしまいます

ですが その中のいくつかの仕事は
そういう状況になった時にでも
重荷に感じることなく
淡々と黙々とこなすことが出来たので

そういうのが向いているもの
なんだろうな と 思っていました

どうして遊びの話からいきなり
仕事の話になるのか というと

その「淡々とやり続けること」に
息吹を与えてくれるものが
自分にとって遊ぶことなのではないか と
なんとなく思ったからです

今日の昼間 りゅうくんが
お休み明けの夜勤の日だったので
お昼に一緒に会社近くにある公園で
天然記念物のハクモクレンを見ながら
お弁当を食べました

一時間の休み時間のうちに
お弁当の不足分を買いに行き
(一人分しか用意していなかったので)
公園で少し写真を撮って
食べるのが遅いりゅうくんに合わせて
黙々とご飯を食べただけなのですが

ただそれだけのことが
物凄く自分自身に命を
与えてくれるものであると
本当に実感したのです

もっと言うなら 実は昨夜
ネットゲームの特典を受け取るのに
PCでゲームにアクセスしなければならず
家のPCが壊れているため仕方なく
近所のネットカフェに行きました

行く前は こんなことにお金をかける
意味なんてあるのか?と思いました

やったことも 特典を選んで
帰って来ただけという
とても一緒に遊んだとは
言い難い状況だったのですが

しかし それでもその
たった一時間の時間で
私もりゅうくんも
物凄い満足をしたのです

本当に 心から行って良かった
と思いましたが この満足感は
人から出るものではないと思います

本当に 神様は私たちを
遊びへと導かれているのだと
2年越しで やっと理解が出来ました

それともうひとつ

今日は 仕事においては久しぶりに
物凄く疲れることがあったのですが

急いで家に帰り りゅうくんのために
お弁当のおかずを作ったら
その疲れが吹き飛んでしまいました

私には仕事にではなく
家庭や遊びの中に神様の召しが
あるのかなぁと思ってしまうほどです

仕事においては 今まで
きちんと積み上げてこなかったものや
敵に壊されてしまったものを
神様によって再構築されていることを
感じてはいるのですが

しかし あきらかに「遊び」の方が
私にとっても(神様にとっても)
大きな意味があるような気がします

まだ入口をちょっと覗き込んだだけで
全く意味がわからない状況ですが

よくわからないけど楽しみです♪

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